レキオ島唄アッチャー

アルテで「バチクヮイ節」を歌う

 毎月恒例のアルテミュージック・ファクトリーが9日夜、開かれた。今月のテーマは「命」だった。旧盆明けのお疲れがあるのか、エントリーが少なかった。もしかして過去最少かも。
 その代わり、時間のゆとりがあり、一人で2曲歌ったり、ゆったりした音楽会となった。
 taka&shikaは、「ビューティフルネーム」を歌った。takaさん小学校時代、校歌がなく、できるまでの間この曲を校歌代わりに歌った思い出があるそうだ。
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   越智さんはトランペットで「君こそわが命」を演奏し、ツレがピアノ伴奏した。
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 カーペンターズは、「五穀豊穣」など2曲を演奏した。

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  私は、「バチクヮイ節」を歌った。「バチクヮイ」とは、よくやった、でかした、というような意味だそうだ。この曲は、5番目の歌詞に「平和なる御代に 命のびのびと 栄ていく文化 眺む嬉さ」とあるので、選んだ。YouTubeにある動画をアップしておく。ちょっとミスしているのでごめんなさい。
 時間があり2曲演奏してOKということだったので、八重山民謡「あがろうざ節」も歌ってみた。

       
 ツレはピアノ弾き語りで「愛の讃歌」を演奏した。声がよく伸びていたのではないか。

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 taka&shikaはもう1曲、「銀河鉄道999」を歌った。
  ツレはピアノ独奏で、ショパンの「ロマンス」を演奏した。

 宇都宮さんは、ボーカルとピアノのコラボの予定だったが、ボーカルの方が見えないので、アカペラで「ウィ・アー・ザ・ワールド」を歌った。アフリカの飢餓と貧困の解決を目的につくられたキャンペーンソング。初めての歌声だった。
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  リエさんは、宇都宮さんのピアノとのコラボで、「デビーのワルツ」など2曲を歌った。
   
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   清美さんは、宇都宮さんのピアノをバックに「川の流れのように」を歌った。
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   主宰の越智さんは、「参加は少なかったけれど、内容は最高だった」と感想をのべた。




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「海ヤカラ」をめぐる伝承、その1

「海ヤカラ」をめぐる伝承

  

 糸満市を舞台にした民謡に「海ヤカラ」がある。なかなか面白い男女の恋模様が歌われている。

 「ヤカラ(輩)」とは、強い者、働き者という意味がある。海に生きる強い者、海の勇者を意味する。
    
1、誰(タ)がし名付(ナヂ)きたが ドンドンぬガマや
  遊(アシ)び 美童(ミヤラビ)ぬ 忍(シヌ)び所(ドクル)
  ※海ヤカラ ドンドン スーリ エイスーリ(以下囃子は省略)
 〔誰が名付けたか、ドンドン(洞窟)は、毛遊びの若者達が、忍んで来る処〕

2、ドンドンガマ通(カユ)てぃ 忍でぃ来(チ)ゃさ我(ワ)んね
  出(イン)ぢみそりヤカラ 語てぃ遊ば
 〔ドンドン洞窟に通い、忍んで来たよ、私の為に出てきておくれ勇者よ
 語り遊ぼう〕

3、海ヤカラに惚(フ)りてぃ 食(カ)むる物(ムヌ)食(カ)まん
  道端に泊(トゥ)まてぃ 親(ウヤ)ぬ哀(アワ)り
〔海の勇者に惚れて、食べる物も無く、道端に泊まり、親は哀れに思うだろう〕

4、成(ナ)てぃん成らりらん ぬちんぬかりらん
  如何(イチャ)さびが里前(サトメ) 後ぬ事や

 〔どうすることもできず、抜けることもできず、どうしてくれますか
愛しい貴方よ〕

5、海ヤカラに惚(フ)りて 夜(ユ)ぬ明(ア)きせ知らん
  如何(イチャ)し親(ウヤ)加那志(ガナシ)御返事(クヒジ)さびが
 〔海輩に惚れて、夜が明けるまで一緒に居た、どうやって親に報告しよう

6、我(ワ)んや海ヤカラ 無蔵(ンゾ)や恋(クイ)ヤカラ
  二人(フタイ)押(ウ)し連(チ)りて 親(ウヤ)に語ら
 〔我は海の勇者、愛しき君は恋の勇者、二人揃って、親に話そう〕


  歌詞は手元にある工工四(楽譜)から、歌意は沖縄県広報誌「美ら島沖縄」「民謡とわらべうたでめぐる ふるさと唄紀行」から紹介した。
      

   園田青年会のエイサー「海ヤカラ」
この曲には次のような伝承がある。以下県広報誌から。

<明るく華やかなこの曲は、歌詞を替えて大衆芝居の挿入歌として使われたり、久米島町兼城の獅子舞や各地のエイサーなどに幅広く使われています。

 「海やから」は、海のつわものや英雄を意味し、船頭や船乗り、魚捕りの名人を指しています。

この唄には、糸満市真栄里(まえさと)に今も残る洞窟「ドンドンガマ」の伝説が付随しています。昔、魚捕りのうまいよそ者の青年が、真栄里部落のドンドンガマをねぐらに漁をして暮らしていました。その青年(海やから)に部落の美しいと評判の娘が惚れこみ、洞窟で夜な夜なあい引きを重ねていました。おもしろくないのは同じ部落の青年たち。娘を奪われた嫉妬のあまり、海やからを亡き者にしようと暴力を振るったり、海で溺れさせようとします。しかし海やからは強く、たくらみはことごとく失敗。最後の手段として、恋仲を皮肉をこめて唄うことしかできませんでした。その唄が「海やから」だとされています。>

 村の美女がよそ者に惚れて、それを嫉んだ村の若者がはやし立てるという民謡は、「汀間当(ティーマトゥ)」をはじめいくつもある。その一つである。




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今年もやってきた古蔵青年会エイサー

  9月3日から始まった旧盆。4日は「中ぬ日」で、お中元を配るのに親戚回りをする人が多いらしい。
 那覇市古波蔵のわが地域は、古蔵青年会のエイサーがやってくる日である。
  
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  例年は日暮れ前に回ってくるのに、今年は来ないのでどうなったのかなー、と少し心配していた。でも7時過ぎだったかやってきました。太陽は沈んで暗くなっているが、エイサー隊列の前と後からライトが照らし出していた。
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 エイサーの音の響きを聴いて、近くの住民が続々と家族連れで出てきた。
 みんなエイサーが回ってくるのが楽しみだ。
  「かたみ節」「海ヤカラ」はじめお馴染みのエイサー曲にあわせて、勇壮な演舞を繰り広げた。

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  道化役のチョンダラー(京太郎)もいつものように踊り隊の間をぬって動き回る。
 最後の「唐船どーい」が終わると拍手喝さい。「アンコール」の声まで飛び交った。青年会は地域を全部回らなければいけないので、  アンコールに応えている暇はな い。
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 イナグモーイ(女性踊り)の娘さんたちが、募金箱をもって回ると、おばちゃんたちも喜んでカンパを入れていた。 
 古蔵青年会のエイサーは結成19年目だという。今年は、歌三線担当の地謡(じかた)がいなくて、録音を流して踊ったのがちょっと寂しい。でも、旧盆といえば、住民の方々はエイサーが来るのが楽しみだ。続けるのには、いろんな苦労があると思うけれど、これからも青年会は頑張ってほしい。










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「米軍が最も恐れた男、その名は、カメジロー」を観る

占領下の沖縄で圧政と闘った瀬長亀次郎を描いたドキュメンタリー映画「米軍が最も恐れた男、その名は、カメジロー」が桜坂劇場で上映中なので観に行った。
 
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  ヒットしていることは聞いていたが、噂にたがわず、上映30分ほど前に劇場に着いたらもう、長蛇の列が続いていた。沖縄では行列は珍しい。「今日はまだ空いている方ですよ」と劇場側は言っていた。
 かつてTBS「筑紫哲也News23」でキャスターを務めていた佐古忠彦さんが、テレビで放送したドキュメンタリーを追加取材し再編集した映画である。
 瀬長亀次郎は、米軍占領下でどんな弾圧にも屈せず、抵抗の闘いの先頭に立ち、沖縄人民の団結と統一を訴えた不屈の政治家だった。沖縄人民党のリーダーであり、日本復帰後は日本共産党の副委員長、衆院議員として活躍したことはよく知られている。

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 映画はその信念を貫いたカメジローの人生を貴重な映像と当時を知る人たちの証言で描いていて見ごたえがある。カメジローといえば「不屈」の言葉で象徴されるが、次女の内村千尋さんによると、カメジローは「自分が不屈なのではなく、沖縄の人たちが不屈なんだ」と述べていたそうである。
 カメジローの演説は、当時、抑圧された沖縄の人々の気持ちを端的に代弁し、苦難の解決の道筋を示してくれるので、聴衆を熱狂させたという。亀さんの演説には無数の「追っかけ」がいたという。「自分も追っかけて聴きに行ったものだ」という話をよく聞くことがある。
 映画を観に来ている人たちは年配層が多いので、当時足を運んで直接、演説を聞いた人たちもかなれいただろう。
 いまも、日米両政府による理不尽な辺野古新基地建設が強行され、再三、墜落事故を起こしながらも欠陥機オスプレイが沖縄の空を飛び回っている。翁長県知事を先頭とする沖縄県民の闘いは、この戦後のカメジローをはじめとする県民の闘いの延長線上にあることを強く感じさせた。亀次郎の生涯は、現代に生きる人たちに多くの示唆を与えてくれる。 
 映画が終わると、いっせいに拍手が起きた。共感と感動の広がりが示されていた。
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移住12年を祝ってもらう

  沖縄に移住して8月31日で丸12年になった。
 親戚や友人もいない島に移住して、初めは不安もあったが、多くの人たちと知り合い、みなさんのあたたかい人柄にささえられて、沖縄生活を楽しく過ごすことができている。
 
 前日の30日はちょうど、フォークユニット「F&Y」のライブが、那覇市真嘉比の「ななまかい」であった。昨年、移住11年の記念にと、この「ななまかい」ライブに来て、祝ってもらったことだった。それ以来、「ななまかい」には月1回くらい通っている。食事は美味しく、ライブチャージは無料で楽しめる。駐車場はあり、代行で帰っても安いので助かる。
  この日も、いつものように、懐かしいフォークから洋楽、昭和歌謡まで、熱い演奏が続き大盛り上がりだった。
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 ライブ後半では、ふーみーさんは、私たちが夫婦が、沖縄移住12年になることを紹介し、良明さんが乾杯の音頭をとり、お客さんみんなが一緒に乾杯してくれてた。サプライズのお祝いに感激した。

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 さらに、映画「ゴースト~ニューヨークの幻」の主題歌としてリバイバルヒットした「アンチェインド・メロディ 」を私たち二人のために歌ってくれ、二人でダンス。ツレは感動のあまり泣き崩れていた。

 
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 音楽を通して素敵な出会いに感謝、感激である。
                     
 






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旧盆が近づく

 猛暑が続く沖縄。8月28日は、旧暦7月7日。七夕である。七夕といえば、沖縄は旧盆を迎えるためにお墓をきれいに掃除するのが習慣である。28日は、月曜日なので、繰り上げてこの26,27日の土日曜日にお墓掃除をした家もあるようだ。この暑さでは、お墓掃除も大変だろう。
七夕を前にした27日夜の月は見事は三日月だった。

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 旧盆は9月の3日が「ウンケー」(お迎え)、4日が「ナカヌヒー」(中の日)、5日が「ウークイ」(お送り)である。
 5日は民謡三線同好会の日に当たるが、会場のセンターがお休みになるので、同好会の練習もお休みとなった。
 わが家では、昨年の旧盆過ぎに愛猫が亡くなったので、今年は猫の初盆となる。ご先祖様へのお供えとともに、愛猫の好物だったレトルトのマグロの餌をお供えして、供養しよう。
 

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宮古島への鉄と鍛冶の伝来、その5。政治社会の変貌

鍛冶伝来で政治社会が変貌

宮古島への鉄と鍛冶の伝来を考える上で、考古学的な知見と同時に、宮古島における鉄と鍛冶の伝来がもたらした社会的な変化を分析することも欠かせない。

その点で、稲村賢敷氏の論考は、興味深い。

稲村氏は、日本および沖縄からの渡来人によって鍛冶の技術が伝わり、鉄製農具および漁具が製作されて一般に普及するようになったことは、「宮古の生産業、殊に農業に一大革新をもたらしたことを物語るものである」と強調。鉄製農具の使用がおよぼした宮古島の政治社会の変化について、次のようにのべている。

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            豊見親墓の案内碑

  <耕地および人口の増加は、従来のように小さい血縁部落内の生活に満足することができなくなって、新開地(原や里)の発達となったのである。…狭小なる地域の祭祀を中心としてできた血縁部落は自然に変貌して、土地の開墾と分配および所有権相続権を中心とする政治社会が発達するようになる。…強力なる武力を有する男子中心の社会ができるようになったものと思われる。…平良地方においては、この新しい政治社会の統率者となった者を天太(てだ)と称した。…祭祀社会における祖神に対する尊称が、そのまま政治社会の統一者に対しても使用された。

 平良地方において天太と称した者には、(1)保里(ぶさと)天太(てだ)、(2)根間角(にーまつね)がーら天太、(3)浦天太、等がある。彼らは何れも要害に拠って城を築き、武力を備えていた。これはその勢力下にある農民を統制すると共に、附近に居る強敵の侵冠を防衛する必要のためであった。…

宮古における鍛冶の伝来は、これからなお50年乃至100年ばかり遡って13世紀中頃以後のことになり、鎌倉時代の末頃であったと考えて間違いないようである。>

 農耕社会への発展と人口の増大、それを背景として台頭した各地域の支配者間の武力抗争は、鉄製の農具と武器なしには考えられない。

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           仲宗根豊見親の墓

 与那覇原軍を目黒盛豊見親が打ち破ったのは1370年前後と見られている。目黒盛が争いの中で「宝剣」で矢を打ち払った逸話に見られるように、この時代の争乱に刀剣、弓矢が使われたことは確かである。

稲村氏は、14世紀には広く鉄製品が使われたことを踏まえて、鉄と鍛冶の伝来から普及までの時間的な経過を考えて、その年代を「50年乃至100年ばかり遡って13世紀中頃」と推定したのではないだろうか。
 稲村氏の推定は考古学的な知見からは早すぎるとしても、宮古の社会発展と変化の歴史を見れば、14世紀はじめには鉄と鍛冶が伝来していたと考えるのが、自然ではないだろうか。

 谷川氏と稲村氏は、鉄と鍛冶を伝えたのは倭寇と見ているが、必ずしも倭寇だけとは限らないのではないか。喜界島の城久遺跡では11世紀後半~12世紀ごろの鍛治炉の跡が20基以上、発見されている。喜界島は南島交易の拠点だったといわれ、活発な交易活動により鉄器が琉球諸島に持ち込まれていたと見られている。

宮古島に滑石製石鍋が12世紀代には大和商人によって運ばれたとすれば、喜界島で造られる鉄器が交易を通して持ち込まれたことも十分考えられる。

宮古島には倭人、琉球人、大陸の人々などが渡来している。「特に鍛冶の伝来は渡来人と深く関係している」(『みやこの歴史』)ことは確かだ。

各集落(遺跡)に陶磁器が出土することから、中国との交易もあったようだ。1317年、中国温州に14人が乗った小舟が遭難し漂着した。保良元島の首長の管轄下にある宮古人婆羅公管下密牙古人)と見られ、シンガポール方面に貿易のため出かけていたという。14世紀初めに東南アジアまで交易に乗り出していたとなれば、すでに海外から鉄器が持ち込まれたことは容易に推察される。

宮古島の農耕社会の発展と「争乱の世」の現出という歴史のなかで、鉄製の農具や武器が使用された現実から見れば、少なくとも14世紀のはじめ頃には、宮古島に鉄と鍛冶が伝来したことがうかがえるのではないだろうか。

それにしても、沖縄の離島の中で、宮古島は独特の歴史の歩みがあって、興味は尽きない。

   終わり            文責・沢村昭洋

                          


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記録的猛暑、ぜんざいが美味い

 この夏は異常な猛暑だ。沖縄の夏は、日差しは暑いが気温は32度が通常。それが今年は35度がもう14回に達する。記録的だ。36度の過去最高を記録した所もある。台風は来ないというか、高気圧が強く張りだしていて、近寄らない。雨はほとんど降らないので、サトウキビなど悲鳴を上げている。


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   そんな暑い時にピッタリなのが氷ぜんざいだ。南城市佐敷の手登根に美味しい店があるというので出かけた。ツレが聞いた情報だ。331号線沿いの手登根のバス停そばにその店はありわかりやすい。
 「いいやんべぇ」という。「いいあんべえ」というのがフツーだと思うけれど、面白い名前だ。 


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 店内に入ると、中央に大きな丸テーブルがあり、知らない人でもグルリと囲んで座って食べられる。
 張り出されたメニューを見ると、文字通り氷ぜんざいとかき氷だけ。冬でもこのメニューなんだろう。ぜんざい一筋の店。


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 ツレは「こくとうみつぜんざい」、私はスタンダードな「ぜんざい」にした。容器の底に金時豆のぜんざいと白玉が入り、氷が山盛りされ、その上にさらにぜんざいが載るという豪華な感じ。


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   食べてみると、氷はフワフワ、ぜんざいも甘さがちょうどよい味。一瞬暑さを忘れさせてくれた。

 19日も那覇は35度あった。8月の後半に入ると、暑さも峠を超すのが通常だ。でも今年はまったく気温が下がらない。もういいかげんに、涼しくしてほしい。雨乞いもしなくてはいけないくらいだ。

 そんなこの時期は、夏祭りのシーズン。土、日はあちらこちらで祭りや夕涼み会がある。
 夏祭りには出かけていないが、夜9時前に、ベランダに出ると、豊見城方面で打ち上げ花火が上がった。もうフィナーレらしく、夜空に華やかな大輪の花を咲かせていた。


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宮古島への鉄と鍛冶の伝来、その4。争乱の世へ

 「争乱の世」へ

14世紀には遺跡が増加した。この時代、土地を巡る争いが激しくなっていく。

13世紀の遺跡(集落)は少なく、保良元島、大牧、カームイ嶺、野城、高腰城、パナタガー嶺、住屋の7件の遺跡が知られているにすぎない。14世紀に入ると遺跡は増加する。「昔は西の百郡(むむふん)、東の百郡といわれるぐらい村々は多かった」(「宮古島記事仕次」)という。…

 この時代は「争乱の世」といわれる。争乱の目的は「田畑を奪い取る」ことにあったようだ。いわゆる土地領有権の争いであり、宮古も農耕社会に依拠していたであろうことがうかがい知れる。一方では各集落(遺跡)に陶磁器が出土することから、中国との交易活動も展開していたらしく、それは集落が連合しての行動と考えられる。14世紀は集落が増加したと考えられる時代で、宮古全体で50件余の遺跡が確認されている。人口規模にすれば2000人から3000人余と考えられる。(『みやこの歴史』)>

   14世紀の遺跡分布                    宮古島の14世紀の遺跡分布(『宮古の自然と文化第3集』から

 宮古島の村々には主長が生れ、さまざまな興亡があった。

<「宮古島記事仕次」によれば、西銘村に炭焼太良(すんやきだる)という人がいた。後に西銘の主長となる嘉播(かば)の親で、西銘城を拠点とする(注・長女の子が宮古島を統一した目黒盛豊見親とされる)。

保里(ふさてぃ)村には保里天太(てぃだ)と称される主長が保里城を拠点にしていた。石原(いさら)村の主長は思千代(うむちよ)按司といって石原城を拠点にしていた。根間(にーま)村の主長は根間の大按司という人。浦島(うらすま)の主長は浦天太という。

 村々では、家督相続争いがあったり、領地の拡大をめぐり、主長の間で、殺し合いや謀殺など、血なまぐさい争乱が起きた。(同書)>

 

 与那覇原軍を破った目黒盛豊見親

 「争乱の世」に突如として現れたのが、佐多大人(さーたうぷひと)を首長とする与那覇原(よなはばら)の軍団である。与那覇原は「平良より東」にある連合集落で、兵十行(つら、一行とは百人をいう)を擁していたという。多かった村々の過半は与那覇原に滅ぼされた。

 与那覇原軍は鍛冶場をもって武器を作っていたという。

<与那覇原軍は、仲曽根東方の盛加井泉(ムイカガー)がある与那覇原村を本拠地にしていたので、その名が付いたという。盛加井泉の近くにある寺フグ御嶽は、彼らの住居跡だともいわれ、御嶽には「大和神」を祀っていたという。また鍛冶場を持っており、「鍛冶神」も祀っていた。鉄塊から刀などの武器を作り、各村を襲い住民を皆殺しにして進撃を続け、北進して大浦多志(ウプラタシ)城を滅ぼした。(伊敷賢著『琉球王国の真実』)>
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                与那覇勢頭豊見親の中山朝貢の際の逗留跡

 与那覇原軍を打ち破ったのが、目黒盛豊見親(めぐろもりとぅゆみゃ)である。これにより島内の兵乱を鎮め統一の業を成し、島内統治の実績をあげ島民から慕われたという。

目黒盛は武道の達人だった。伝承によれば、さまざまな争いの場面でも「目黒盛はただ一人宝剣を懐に帯びて赴き、按司の接待に応じた」とか「雑兵の射かける矢を目黒盛は剣を以て打ち払った」とされる。武器として剣が盛んに使われたことがうかがえる。

目黒盛が与那覇原軍を打ち破った年代について慶世村恒任は、1365年頃とし、稲村賢敷は「洪武年間の初頃(1370年代)にあたり、与那覇勢頭豊見親の中山朝貢(1390年)より20年程前のことである」とする(『みやこの歴史』から)。

 

この年代は、鉄と鍛冶の伝来の時期を考える上で重要な意味をもつ。

下池和宏氏は、大和や久米島から鉄がもたらされたと伝えられる説話にふれて、14世紀頃に鉄が宮古島に流入していたと見る。

<14世紀頃の住屋遺跡から刀子、高腰城遺跡から鉄鏃、箕島遺跡や砂川元島から鉄鍋などが出土している。これらの事例は、少なくとも14世紀頃には鉄製品が宮古に流入していたことを証している。13世紀の遺跡から鉄製品は出土していない。説話にいう農具を作ったとあるのは解せないが、渡来した人々の時代は、14世紀頃であろうと考えられる。すなわち、説話には14世紀頃の世界が色濃く反映されていると見ることができる。…島々に渡来した人々は、先住の人々と融合して定着し、農耕など宮古の基盤づくりに励んだであろう。(『宮古の自然と文化 第3集―躍動する宮古の島々』の「『宮古人』を考える」)>

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             与那覇勢頭豊見親の中山朝貢の際の逗留跡
    
 宮古人は早くから海外交易に乗り出していたと見る下池馨氏は、次のようにのべている。

14世紀初頭、あるいはそれ以前から宮古にも高度の文化は勿論、青磁、鉄器、南蛮がめ等は移入あるいは輸入されていたとみるべきである。(『宮古の民俗文化』)>

 

ここからは、宮古への鉄と鍛冶伝来の年代について、若干の私見をのべたい。

まず、鉄滓や鉄製品の破片などが出土している遺跡の年代が「1516世紀頃」だけだとすれば、鍛冶の伝来は13世紀中頃という稲村説は早すぎるだけでなく、「14世紀中葉」という谷川説も早すぎることにならないだろうか。

 また、宮古島の実際の歴史の上では、14世紀にすでに鉄製の武器や農具が広範に使われたと見られる。下池和宏氏は、14世紀頃の遺跡から鉄片などが出土しており、「少なくとも14世紀頃には鉄製品が宮古に流入していた」とする。


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アルテで「命口説」を歌う

 毎月恒例のアルテ・ミュージック・ファクトリーがあった。今月のテーマは「渚」。エントリーは多くなかったが、テーマに沿って、それぞれ歌と演奏がされ、コンパクトで充実した音楽会だった。
 chica&takaは「★のラブレター」を歌った。誰の歌だろうか?
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 カーペンターズは「恋の島鳩間島」他を演奏した。
 島尻さんは知念さんのピアノ伴奏で「千の風になって」を歌った。
 絹枝さんは、ウクレレ弾き語りで「さとうきび畑」を歌った。8月はこの曲を歌うことに決めているそうだ。
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 私は、沖縄戦をテーマにした「命口説(ぬちくどぅち)」を歌った。なんと来月のテーマが「命」になっている。ひと月早く先取りしてしまった。ただ、前に情け歌を歌った時、「あなたの声は口説があっていますよ」とアドバイスをいただいたのでそれに応えるためにあえて歌ってみた。
 YouTubeに動画がアップされているので紹介する。

              

 この曲の歌意は次のとおり。
 
1、 過ぐる戦争を思い出すと 身の毛もよだつ恐ろしさだ

  この世の地獄であったのだ

 2、 日の丸を掲げ、竹槍に命を預けた国の為に

エイヤエイヤと勤めはげんだ

 3、天皇に忠孝尽くし信じていた、島人みんなの命と体をかけて

守り守ったことだった

 4、艦砲射撃が雨あられと降り注ぎ、惜しくもわが生まれ島はさんざんに

火の海、火の山となってしまった

 5、命をただ一つ引っさげて、沖縄の島尻(南部)から中頭(中部)、国頭(北部)と

  逃げて逃げ回ったことは忘られない

 6、海山川の形まで、変わり果ててしまったわが沖縄

  どうしてくれたのだろうか、神さま、仏さまは

 7、あのガマこのガマと隠れて、命がようやく助かりもうけたことだ

  でも親兄弟、子や孫まで、散りじりになってしまった

 8、いかに物を言わない草木だって、命あるため焼かれれば

  ああ、あわれ、あわれと泣かないことがあろうか

 9、戦争を起こしたのは何のためなのか、戦争を始めたのは誰だったのか

  神の仕業か人のなせることか(注・神には現人神といわれた天皇を含むのかも)

 10、戦世をしのぎ、みるく世(平和で豊かな世)を迎えると思えば

  あれこれと国がゆさゆさ揺れる、危ういことが果てしない

 11、幾年月日がたとうとも、沖縄の人はこぞって、あの戦争のことを

  子や孫に語りつぎ、いつまでも忘れるなよ 命口説

注・おおざっぱな意訳です。

 
 ツレはピアノソロで「渚のアデリーヌ」」を演奏した。好評だった。
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 アルテギターサークルは、越智さんが不在だったが、応援もあり、3人で「月影の渚」など演奏した。
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   ツレがもう一度ピアノソロで、ショパンの「ポロネーズト短調遺作」を演奏した。
 和田さんは、ギターを独奏した。曲目の紹介はなし。
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 伊波さんはギター弾き語りで、松山千春の「季節の中で」を歌った。
 仲村さんは、ギター弾き語りで斉藤和義の「歩いて帰ろう」を歌った。
 由美子さんは、オカリナで「想い出の渚」を演奏。糸数さんがギター伴奏をした。
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  東明さんは、ギターで「サンタルチア」など演奏した。
 糸数さんは、ギター弾き語りで「帰れソレントへ」を歌った。
 taka&yogがエレキで即興のコラボ演奏をした。
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 清美さんは、「ひばりの佐渡情話」を宇都宮さんのピアノとのコラボで歌った。
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 なぞかけ名人を名乗る方がはじめて出て、みなさんからお題をもらってなぞかけをして笑わせた。
  演奏曲目の紹介だけで終わってしまった。 
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