レキオ島唄アッチャー

変容する琉球民謡、八重山から本島へ。「久場山越路節」

 「久場山越路節」(クバヤマクイツィブシ)
 久場山の峠道を切り開いて作った苦労が歌われている。
石垣島の北部、野底村の東方約半里(2キロ㍍)くらいの所から東南方にある峠道で、峠の長さはおよそ1キロ余り、葛折りの険しい道だという。
 次のような歌意である。
♪険阻な峠道がなければ(いいのに) 険しい山道がなければ(いいのに)
♪険阻な峠道もあった方がいいのだ 険しい山道もあった方がいいのだ
♪どのようにして開いたのか、峠道を 如何なる方法で拓いたのか、山道を
♪踏み倒して開いたのだ、峠道は なぎ倒して拓いたのだ、山道は
 歌詞はまだ8番まで続く。
 山道の幅いっぱいに絹布を敷き延べて野底村の役人さまをご案内します、という歌詞になっている。
 険阻な山道を切り開くために動員された庶民の恨みの声で始まる。でもすぐに、山道はあった方がよいと役人を丁重に案内するという矛盾した歌詞になっている。歌詞には、峠道を開く難工事に駆り出されて、苦労した庶民の側と、開通を計画して住民を動員して進めた役人の側の両方の見方が反映されているような印象がある。
 喜舎場永珣氏は「大浜英晋が野底村の与人役(村長)を勤めている時に、作ったと、その子孫や古老は伝えている」(『八重山民謡誌』)。英晋が与人を拝命したのは1836年だというから、180年近く前に作られたことになる。
 それはともかく、この元歌で歌われることはほとんどないという。「つぃんだら節」に続けて「退(ピゥ)き羽」として歌われることが多い。その場合は、歌詞はまったく変わる。
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写真は、島分けの悲劇を象徴する野底まーぺーの伝説がある野底岳
 「つぃんだら節」は、黒島に住む仲睦まじい二人が首里王府の命令で引き裂かれ、女性が野底に移されるまでが描かれている。これに続けて歌う「久場山越路節」は、野底に移された女性が、黒島では彼氏といつも一緒だったと懐かしく回顧する内容となっている。

 「久場山越路節」の歌意は次の通り。
♪黒島にいた間は さふ島(黒島の別称)にいた間は ※かわいそうな愛しい人よ
♪島は一つだった 村は一つだった ※ハヤシ
♪苧(ブー)作業の時も私たち二人は(注) 結(ユイ、共同作業)をする時も 私たち二人は一緒だった
♪山に行くのも二人 磯下りの時も二人だった  
 注・苧(苧)は布織りの糸の原料。苧にかかわる作業か、もしくは一般的な夜業、夜鍋か、「ブー(夫役)に服する作業か、いろいろ説がある。
 黒島では一六九二年から一七三二年の間に計四回の強制移住があった。一七三二年には、約四〇〇人も移住させた。「島分け」の悲劇を歌った曲は、哀調を帯びていて、歌っていても胸に迫るものがある。
 薩摩に支配され搾取されていた琉球は、財政難のため、八重山で人口の多い島から未開拓の地に住民を強制移住させる政策を進めた。昔は、大きな石垣島や西表島はマラリアの危険な地域があり、人口は少なく、島は小さくても比較的、人口は多かった黒島などから移住させられた。役人が村の道路を境に移住者と残留者を無慈悲に線引きして決めたので、恋人でも仲を引き裂かれ、たくさんの悲劇が生まれた。そのために、「島分け」をテーマとした唄は、八重山でも宮古島でもたくさん作られている。
               
   動画は高嶺ミツさんの唄・三線による「つぃんだら節」。「久場山越路節」は入っていないが素晴らしい歌だ。
 この曲は、沖縄本島では沖縄芝居に使われることになった。題名は同じであるが、八重山の元歌とも、「つぃんだら節」の「退き羽」で歌われる歌詞ともまったく異なる歌が作られた。旋律も相当違うので、これはもう題名は同じでも、まったく別の歌の感じがする。

 本島の「久場山越路節」は、男女掛け合いの恋歌で、次のような歌意である。
♪女 衣の袖を掴まえ 私と知りながら 何とでもなれと思って 捨てて行くの ねえ貴方
♪男 その積りではない もしも他人に知れて 世間の噂になったら どうするの ねえお前
♪女 女の身の習慣の 義理も恥も捨てて 焦がれる心を 貴方は知らないの ねえ貴方
♪男 誘惑があっても 靡(ナビ)くなよ お前 心の中の契り 他人に知らすなよ
♪男 二人が真心も 無駄にしてはいけない 
♪女 変わるなよお互いに 何代までも ねえお前 ねえ貴方
 芝居の台詞がそのまま歌詞になった感じだ。

 ややこしいのは、この本島で歌われた「久場山越路節」は、さらに歌詞が変えられて「桃売アン小(ムムウイアングヮー)」となったことだ。この曲は、私が通う民謡三線サークルの課題曲となっているので、よく歌う。やはり、男女掛け合いで歌う。
 歌意は次の通り。
♪女 山桃を売って織った布を買ってあるから それで着物を縫って 愛しい彼に着させる
♪女 着物を縫った後、切れ端が残るから 私の着物の袖に付け足して 私が着るわ
♪男 着物を洗っているのか、布を晒しているのか、水汲みは私がするから 疲れていないかい、ねえお前
♪女 着物を縫って貴方に着させるから、今から後は他所の人と夜遊びはしないでね
♪男 心からの形見であるなら、今から後は、他所の人と夜遊びはしないよ
♪女 言ったわよねあなた
♪男 心変わりはするなよ、お互いに
♪男女 親に話して二人は夫婦になろうね 私たち二人は
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       アルテで「桃売あん小節」を歌ったことがある 
 これも沖縄芝居で使われたような歌詞である。「桃売アン小」は、少し古い時代の男女のあり様がわかって面白い。とくに、彼女は、山桃を売ったお金で布を買い、彼のために着物を縫ってあげる。その余った布で、自分の袖につけて着るという表現には、女性の愛らしさがとてもよく出ている。彼氏も、女性にとってつらい仕事だった水汲みを私がやろう、疲れていないかい、と彼女へのいたわりをみせる。

 面白いのは、着物を着せたあとは、もう毛遊びをしないでね、と迫るところ。毛遊びは、若い男女が野原に出て夜のふけるのも忘れて歌って踊って遊ぶ。そこは、恋愛の相手を見つける出逢いの場でもあった。夫婦になる誓いをする二人だから、もう毛遊びに行かないでというのも当然なのだろう。
というわけで、「久場山越路節」はもともと峠道を開いたことをテーマとした曲だったのに、時代とともに変貌し、替え歌が作られ、替え歌の替え歌が作られたという、なんか数奇な運命をたどった民謡だ。替え歌を作りたくなるような魅力をもっていたということだろうか。
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