レキオ島唄アッチャー

変容する琉球民謡、八重山から本島へ。「あがろーざ節」

 「あがろーざ節」
 八重山民謡を、本島で取り入れて、編曲したり、歌詞を変えて歌った曲を見てきたが、編曲してよくなっているのもあるし、本島でもとても有名な名曲となっている曲が多い。ただし、どうしても八重山の元歌の方に味わいがあり、本島の曲にはなじめない曲もある。
 その典型が子守唄「あがろーざ節」である。本島では「子守節(クムイブシ)」となっている。
歌詞は長い上に、同じ内容を少し変えた表現で繰り返すという八重山古典独特の形式となっている。
 全文ではなく、主な歌詞の歌意だけを紹介する。
 ♪東里村の真ん中にヤゥイ 登野城(トノシロ)の真ん中に※ヤゥ ハリヌクガナ
 ♪ミカンの木の下に 香り高い木の下に ※以下同じ
 ♪子守りたちが寄り揃い 子どもを抱く守姉たちが集まって
 ♪腕が痛むほど子守し 手首が痛むほど子どもを抱き
 ♪大人になりなさい 立派な人になりなさい
 ♪学問に優れた人になり 筆を執るのが上手な人になりなさい
 ♪沖縄本島への旅を受けなさい 首里王府への旅を受けなさい
                
 この歌は、子守りの娘さんたちが、登野城の中心部に集まってきて、九年母(クニブ=ミカン)の木の下で子どもを抱き、おしゃべりもしながら子守りをする。子どもが立派な人間に成長することを願う心情があふれている。八重山の子守りの情景がとてもよく表現されている曲である。
 八重山での子守りがどのように行われていたのか、宮城文さん著『八重山生活史』から紹介する。
 「子守は五、六才前後の娘のおつとめになっていて、姉のいる家庭ではもちろんその姉が、そうでない家庭では親戚や隣家の娘を頼むのが常例であった。娘たちは、たくさんの子供をお守するのが誇りであり、『守児(モリゴ)』のいない娘は毎日の朋輩の集いでもさびしい想いをしなければならないので、母親は遠い所まで探し求めてお守りをさせることさえあった」
  守りする子どもには、愛情を注ぐ。守りをした縁故は、生涯にわたって続く。守姉は、お守りした子の成長を見守り、守りをしてもらった子どもは、大きくなってからも、祝い事には、贈り物をするなど感謝の気持ちを忘れない。これは八重山だけではなく、沖縄全体に共通したことだった。
                 天川御獄
     石垣市登野城にある天川御嶽(オン)の説明坂
 大和の子守歌では、親元を離れて「子守り奉公」に出され、子どもが泣くと憎くなり、親元が恋しいと歌う子守歌が多い。八重山など沖縄の子守歌は、まったく逆の世界である。
  「あがろーざ節」は、沖縄本島では「子守節(クムイブシ)」として歌われている。
 ♪姉さんが大事に守り育ててあげるから 学問で優秀になりなさい
 ♪八尋屋の主になりなさい 十尋屋の主になりなさい
  「八尋、十尋屋の主」とは、大きな屋敷に住めるような人になれという意味だ。本島の「子守節」は、八重山のような子守りの情景はもう描かれていない。子守りをする子どもがよく学問をおさめて、出世する、立派な人になることを願うという、内容では共通している。本島でも八重山でも、士族層にとっては、学問を身に着け、王府の役職に就く、出世をすることが大きな望みだった。
 石垣島の登野城の地域は、百姓より士族の割合がとても多かった。「あがろーざ節」は、「学問の優れた人になりなさい」「首里王府への旅を受けなさい」と歌われていることから、士族層の子守の歌だと思われる。百姓は、学問は認められず、ましてや首里王府への旅などありえないからだ。
  「あがろーざ節」は、歌うととっても味わいがあり、私も好きな名曲である。「子守節」になると、なぜか味わいが薄くなる。あまり歌う気持ちがわかない。不思議だ。
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