レキオ島唄アッチャー

変容する琉球民謡、八重山から本島へ。「古見ぬ浦節」

 古見ぬ浦節(クンヌーラブシ)
 八重山民謡でも名高い「古見ぬ浦節」は、西表島の東側にある古見の浦が舞台である。大宜見長稔(1682-1715)によって作詞作曲された(喜舎場永珣著『八重山民謡誌』)という。歌の背景に伝承があるが、まずは歌意を紹介する。
♪古見の浦から見る八重岳よ 八重に連なるミユシク(古見の異称)よ 
  何時までも眺めていたいものだ
♪桜の花のごとく美しいブナレーマよ 梅の花のごとく香しい乙女よ
  何時までも花の盛りであってほしい
♪袖を振ると里之子※の衣装から 極上の沈香の香りがほのかに匂う 
  何時までも染まる移り香の芳しさよ  ※サトゥヌシ、位階名で転じて士族の若者。
♪乙女の想いは 愛しい乙女の心情は いつまでも二人だけで語っていたい
♪私の面影が立ったならすぐ一路古見においでよ 可愛いと思われたなら
 安否を問合せて頂戴ね 何時でもお出でをお待ちしています

                  
 作者の大宜見長稔は、官命によって、与那国島の人頭税輸送の大任を受けて、航海中、風雨にあい、古見の浦にたどり着いた。子孫の伝承によると、村民などの救助をうけ介抱された。ブナレマという美女の愛情に魅せられた。天気が順風になり、出帆するとなると、二人は手を握って涙とともに生木をさき折るように裂かれて、長稔は船中に人となった。涙とともに謡いだされたのが古見ぬ浦節だという。
 長稔は1715年、首里王府の尚益王の前でこの曲を歌ったところ、国王の御感に入り、三味線一挺拝領の光栄に浴したという(喜舎場永珣著『八重山民謡誌』)。
 ちなみに、18世紀半ばの古見は、人口700人以上を数える大きい村だったそうである。
 當山善堂氏は「ブナレーマは架空の女性」とする。「古見の浦の美しい景観や温かい人情を織りまぜながら描かれている」けれども、里之子との別離の場面は、「強制的に現地妻にされたあと、おきまりの筋書きどおり置き去りにされる別離の悲惨さが感じられない」と断じている。確かに生き別れとなる悲痛な思いを歌ったのなら、もっとそれらしい内容の歌詞になるのかもしれない。
                   古見の浦節歌碑
写真の「古見の浦節」の歌碑は「沖縄県の琉歌碑写真集」から使わせていただいた。
 ただ、私的には少し異なる意見を持つ。長稔が救助されての滞在なら、役人の赴任と違って、権威を背景にして現地妻を置かせることは考えにくい。「ブナレーマ」という名の女性が実在したかどうかは別にして、滞在中の食事などの世話をする女性はいただろう。村で心魅かれた女性がいても不思議ではない。どれほどの愛情関係があったかわからないが、魅かれた女性との思い出を、胸に刻んで帰郷したことはありえることではないだろうか。
 「いつまでも二人だけで語っていたい」という4番や「私の面影が立ったならすぐ一路古見においでよ」という5番の歌詞などは、別れの哀切感がにじみ出ている。
 伝承の真偽のほどは別にして、この曲は「しっとりとした曲調」「気品にみちた荘重な旋律」(當山氏)で歌われる名曲である。
 ちなみに、作者の長稔はどこの出身だろうか。石垣島の「八重山白保(真謝)の与人(真仁屋与一)の家・石垣家が…『古見の浦節』の作者・大宜見長稔の実家」だという。石垣家が所有した知念型三線(石垣市立八重山博物館所蔵)は、「長稔愛用と伝わる」そうである(「琉文21」ブログから)。
              
 本島の古典音楽に取り入れられた「古見ぬ浦節」を見てみたい。
 ♪おしつれて互に 花の下しので 袖に匂移ち 遊ぶうれしゃ
  歌意は次の通り。
 ♪一緒になって花の下に行って、袖に匂いを移して遊ぶのが嬉しい
  次の歌詞もある。
 ♪月も照り清さ 花もにほひしほらしゃ 押風とつれてながみやい遊ば
  次のような歌意だろう。
 ♪月は照り輝き美しい 花も匂いが香しい 風にあたりながら遊びましょう
 『安冨祖琉工工四』には、上記と同じ二つの歌詞が載せられている。
 『屋嘉比工工四』にある「古見之浦節」は、八重山の原歌を基にしたものと考えられるという。その歌詞は、次の通り。
 ♪沈や伽羅とぼそお座敷に出でて 踊る吾が袖ん匂のしほらしゃ
  歌意は次の通り
 ♪沈香や伽羅を焚いて、お座敷に出て踊るわが袖に、漂う匂いの香しさよ
 八重山の原歌を基にしたといっても、歌の内容は、いかにも首里の王朝文化の世界である。本歌を含めて共通するのは「袖に匂い」とか「沈香の香りが匂う」という言葉だけである。もはや、もはや古見の浦の景観の美しさや島の女性との別れの情感などは、まったく消え去っている。別世界の歌となっている。
 『屋嘉比工工四』の歌詞は、本島の古典の「黒島節」でも使われている。舞踊曲集「松竹梅」に入る「黒島節」を歌う時、この「沈香や伽羅とぼそお座敷に出でて」の部分は、なぜこういう歌詞なのか、と疑問に思ったことだった。「古見ぬ浦節」との関係を知ると、少し理解ができる。
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