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レキオ島唄アッチャー

「安里屋ゆんた」の不思議。その4

 実在のクヤマの伝承

「安里屋ゆんた」で歌われたクヤマは、竹富島に実在した人であり、島にはクヤマの生家もある。伝承では、クヤマは与人の賄女になったされる。だが、當山善堂氏が指摘した通り、竹富島で歌われる歌詞に登場するのは目差主だけであり、与人(ゆんちゅ、村長格)は登場しないとなれば、伝承との関係をどう考えればいいのだろうか。


 実在のクヤマの伝承とは次のようなものである。

一七二二年に竹富島の安里屋に生まれ、一七九九年に七八歳で亡くなったという。一七三八年に四人の新任役人の赴任と首里王府からの御検使役らが島に来るので、島は大騒動になり、接待の給仕に白羽の矢が立てられたのがクヤマだったという。まだ一六歳の若さだった。与人の賄女となったクヤマは、「いよいよ転任に際して与人役人は別れの記念に竹富きっての一等地、俗称ハンドウ畑五反歩(当時成人男子一人分の人頭税額に当り、粟約八俵くらいの反別)を与えた。クヤマ女に名残を惜しみながら島を去ったという」(喜捨場永珣著『八重山民俗誌』)。


  この伝承について、喜舎場永珣氏は、賄女になれば、「美衣美食に下駄草履が許され」、粗衣粗食の村の女性たちにとって「羨望の的」だったとのべている(『八重山民謡誌』)。當山善堂氏は、自身の母方の曾祖母が、かつて賄女とされて、役人が帰任する際、妻子は置き去りにされた実体験から、「決して綺麗な女の子を産むもんじゃないよー」と無念の叫びを繰り返していたという実例を示して、喜舎場氏の見解を厳しく批判してきた(八重山の芸能探訪―伝統芸能の考察・点描・散策』)。また、「役人の現地妻を強要する『賄い女』のありようは、首里王府から厳しく禁止された違法行為であり、実際に喜んで『賄い女』になった女性はほとんどいなかったであろう」(當山善堂著『精選八重山古典民謡集(一)』)と主張している。この見解から、竹富島クヤマの伝承について「このことも検証が必要だと思う」とのべている。

當山氏の喜舎場見解への批判と見解は正当だと思う。私も喜舎場氏の主張は一面的でそのまま肯定できない。ただし、「一等地まで貰った」というクヤマの伝承まで、史実でないといえるのだろうか。私は、この伝承はそれなりの現実を反映しているのではないかと思う。

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              竹富島の美しいビーチ

 背景に人頭税制下の貧困と隷属

 仲宗根幸市氏は「安里屋ゆんた」の解説で次のように述べている。

「元歌の内容は、竹富島玻座真村の安里屋にクヤマという絶世の美女がいた。早速、目差職・役人がクヤマに自分の妾になるよう相談を持ちかけたのである。ところがクヤマはきっと上役の与人も自分に申し込んでくるにちがいないと考えた。どうせ役人の妾になるなら目差主よりも与人の役人がよいと、目差主に肘鉄砲を喰らわしたのだ」(『琉球列島島うた紀行 第二集八重山諸島 宮古諸島』)

 封建的支配の小さな島で、役人の求めを拒否するのはとても勇気がいる。どんな嫌がらせや圧迫を受けるかもしれない。仲宗根幸市氏が指摘するように、どうせ拒否できなくて、「妾になるなら上役の与人の方がいい」と考え、仕えたとしても不思議ではない。この解釈だと、目差主の求めを拒否しても、与人の賄女になるのなら、いくら目差主でも文句は言えない。

 
賄女が悲しい宿命にある一方では、役人の帰任の際、土地を貰えるとか、「美衣美食に下駄草履が許され(る)」などの恩恵があり、やむなく賄女の道を選択した女性もいたことは否定できない。その背景には、人頭税下で貧困と隷属にあえぐ現実があることは確かである。八重山民謡の「大田節」のような、娘が役人の賄女になったことを父が誇りにする曲もある。
 これらを考えると、竹富島の「安里屋ゆんた」とクヤマの伝承には、それなりに史実が反映されていると思わざるを得ない。

當眞氏が指摘するように、「当りょ親」は目差主の対句となれば、歌詞には与人が登場しないで、目差主を主人公として成り立っていた。では、クヤマが与人の賄女になったという伝承と歌との関係はどう考えればいいのだろうか。

もともと与人は歌に登場しなかったのに、いつの間にか、クヤマが与人の賄女になった現実や伝承にそって、「当りょ親」を与人と解釈し、「目差主は嫌です。与人に仕えます」という歌詞に変えられた、ということもありうるのではないか。
 そういえば、クヤマが「美人に生まれた」という歌詞も、竹富島のもともとの歌詞にはない。だが、伝承にそっていつの間にか「美人に生まれた」と歌われるようになったのも、伝承による改作といえるのかもしれない。
 そう考えれば、竹富島の歌もそれ以外の島の歌も、それぞれに手が加えられて、歌い継がれてきたということになる。ただし、これは私の勝手な想像である。

 

竹富島の元歌と竹富島以外で歌われる「目差主も当りょ親も嫌です。夫に持つなら島の男がいい」という歌詞は、竹富島の歌詞を少し変えたというよりも、ほぼ完全な替え歌と考えた方がよい。美しいクヤマが役人の求めを拒否して島の男を選ぶという歌の主題は、八重山の民衆の願いが創り上げたクヤマ像ではないだろうか。そんな歌だからこそ、八重山の人々に広く愛され、歌われているのだと思う。私のような大和の人間がいま歌三線で歌っても、心に響き、気持ちが入るのは間違いない。八重山古典民謡の奥深さを改めて痛感する。

終り 

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