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レキオ島唄アッチャー

「安里屋ゆんた」の不思議。その3

 竹富島以外はクヤマが主人公

 竹富島以外の八重山諸島で歌われる歌詞は次の通り。   

1、安里屋ぬくやーまに あん清らさ生りばしー
(安里屋のウヤーマニは 非常に美しい生まれでした)

2、幼しゃから 天晴り生りばしー 小さから 白さ産でぃばしー
(幼いことからかわいらしい生まれでした 小さいときから色白の産まれでした)

3、目差主ぬ請よーたら 当りょ親ぬ望みょーた
(目差役人が{賄い女に}請いました その役人が{側女として}望みました)

4、目差主や我なー否 当りょ親や此れー忌む

 (目差役人{の賄い女になるの}は私は否です 当の役人{の側女になるの}は自分は嫌です)

5、何でから 否でしぅー 如何でから 忌むでしぅー

 (どういうわけで否と言うのですか いかなる理由で嫌と言うのですか)

6、後ぬ事思いどぅ 末の為考やーどぅ
(後々のことを思えばこそ 将来のことを考えればこそ、です)

8、島ぬ夫持つぁばどぅ 後ぬ為ありぅでしぅー

  (郷里の人を夫にしてこそ 後々のためであると思うのです)
       456.jpg 
                       竹富島


 歌詞は、當山善堂著『精選八重山古典民謡集(四)』から。79番は省略した。

  これまで當山氏以外の著作では「当りょ親」は、目差主の上役の「与人」と訳している。例えば「目差主は私嫌です。与人から持ち込まれた話も嫌です」(仲宗根幸市書『琉球列島島うた紀行 第二集八重山諸島 宮古諸島』)となっている。當山氏の「当りょ親」は目差主を言い換えた対句として訳している。


 民衆の願いが込められた歌詞

 二つの歌詞を比べて、まず最も大きな違いは、竹富島の歌詞は、長いだけでなく、目差主がクヤマに拒否されて島中を回って女性を見つけ、子どもまで生ませるという、芝居を観るような一つの物語になっていることである。その物語の主人公は、クヤマではなく、目差主が軸となって展開されている。

さらに、歌の内容を吟味すると、竹富島の歌詞は、目差主が見つけたイシケマについて、親の許しを得ると「あまりの可愛さに土さえ踏まずに抱き上げ」走ってきた、役人の宿舎の浦座敷でお酌をさせると「作法に叶っていた」、八つ折屏風(士族だけ許されていた)の中で「腕を組んで寝られた 股を支えてやりました」などと、その表現にとてもリアリティがあることである。これは、元歌であることのなによりの証左であると思う。

一方、竹富島以外で歌われる歌詞は、一番の特徴は、クヤマを主人公にした歌詞の流れになっていることである。そのため、幼い時から可愛らしく色白の美しい女性であったと、クヤマが絶世の美女であったことを強調されている。竹富島の歌とは主人公が入れ替わっている。目差主はクヤマに振られた役人に過ぎない。クヤマが役人を拒否したうえで、夫を選ぶなら島の男がよいという、極めてシンプルな内容である。そこにはあまりリアリティーは感じられないのも事実である。役人の求愛を島の女性が拒否するのはとても困難だという現実がある。でも、島の男も憧れるような美しい女性が、島外から来た役人による権威をかさにきた強引なやり方に、抵抗する女性であってほしい、夫に選ぶのは島の男にしてほしい。そんな民衆の願望が込められた歌だと感じる。

 

仲宗根幸市氏は、次のようにのべている。

     「封建時代田舎娘が役人に肘鉄砲を喰わして島で生活できるだろうか、という疑問にぶつかった。案の定…下っ端役人の目差は嫌だけど、どうせ妾になるなら上役の与人の方がいいというのが元歌の内容なのだ。元歌のクヤマの態度に納得できない八重山の人たちは、後世改作して目差も与人も嫌という内容にし、島の男がよいと結んだのである。たとえ事実はそうでなくても、八重山農民の健康的な気持ちが分かるような気がする」(『琉球列島島うた紀行 第二集八重山諸島 宮古諸島』)

喜捨場氏も、竹富島以外の歌詞の方は「当時の封建制度を度外視した一種のレジスタンス的なやけくそ的な歌である」「不可   能とは知りながら、当時の社会と制度のくやしさを呪い、いわゆる替歌によんで、絶対権力に対する抵抗を謡い、せめてもの自己慰安にしたものか」と指摘している(『八重山民謡誌』)。

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