レキオ島唄アッチャー

変容する琉球民謡、八重山から本島へ。「川平節」

 「川平節」(カビラブシ)
 石垣島の川平村を舞台として、美女をめぐる恋模様を歌った曲に「川平節」がある。歌詞は17番まであるが通常は8番あたりまでしか歌わないそうだ。
 1、世間で評判になっている ダイミョー家(大名家、屋号)のカンチゥ女は  
いつの夜の露を受け  恋の花を咲かせるのだろうか スーリー
 2、よい潮時をお待ちください よい時節をお待ちください 
蕾んでいる花が  咲かずにいられましょうか
 3、よし潮時を待っているうちに よい時節を待っているうちに 
貴女が他の男と一緒になったら  私はどうすればいのだ
 4,他の男とは一緒になりません 余所の男には心を寄せません
   島のあるかぎりはいつまでも  私の心はこのままです
 5、またも世間で評判になっている シーハマ家(後浜家、屋号)のナベーマ女です 
    どうかお願いだから恋しい娘さんよ 恋語りをさせておくれよねー
 6、恋語りをさせてさえくれるなら 会いに来てさえくれるなら 
金の屏風を差し上げるよ  きっと差し上げるとも
 7、賺(スカ)しているのでもないよ 嘘をついているのでもないよ アラグスク家(新城家)の
兄様も アファリ家(阿波連家)の兄様も  私の貴女への思いを知っているよ
 8、冥加なことだよ、カンチゥ女よ 果報者だよ、ナベーマ女よ 沖縄本島まで名を知られ
    なんと羨ましいことよ
 9、貴女の歌を聞くと、カンチゥ女よ 貴女の歌声を聞くとナベーマ女よ 
貴方たちの歌声は  蜩(ヒグラシ)の  ピーピーと鳴く鳴き声よりも素晴らしい
 ○ダイミョー家のカンチゥ女が 川平村の夫を持つと ウフンガーの水は
  甘水になるはずだよ
 ○ウフンガーの水が甘水にさえなるなら マイムリゥ家のアーシュが
  有り難いことであると思うなら カンチゥ女は格別の幸運に恵まれるぞ
 ○シーハマ家のナベーマ女が 川平村の夫を持つなら ウナ家の井戸の水は 
詰め酒になるはずだよ
 ○ウナ家の井戸の水が詰め酒にさえなるなら キダムリゥ家のイントゥビラが
   有り難いことであると思うなら ナベーマ女は特別の幸運に恵まれるぞ
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 この曲は、大浜善得と弟、平田善元の兄弟の共作とのこと。1721年頃に作ったと推定される。大名家のカンチゥ、後浜家のナベーマは石垣の街から20㌖余り離れた川平村に生まれた。2人は評判の美女だった。美女に恋した兄弟2人は、道中には橋のない名蔵大川や山道など険しい道があったが、ものともせず通っていたという(喜舎場永珣著『八重山民謡誌』)。
 
川平節は、歌に登場する女性「カンツィ(カンチゥ)」の名前をとって「カンツィ節」とも呼ばれている。
 當山善堂氏によれば、「この歌の前段の内容は、四箇村の士族の青年たちと村娘たちの恋愛物語であると言われているが、○印の4節は、村の長老たちが村娘と村の男との結婚を心から望んでいる様が描かれている」(『特選八重山古典民謡集(三)』)という。
 つまり、長いこの歌には、二つの要素が混在していることになる。村娘に恋する士族の兄弟の立場と、美女2人が士族の青年に取られることを警戒する村の男の立場である。
 當山氏によれば、この曲は「沖縄語(本島言語)を数多く用いてつづられ、音階も琉球音階によって歌われている」とのこと。もしかすると、士族青年によって作詞作曲された原曲にたいし、地元で川平村の男たちとの結婚を望む歌詞が後に付け加えられて歌われるようになったのかもしれない。こうして事例は珍しくない。
 
「安里屋ユンタ」の竹富島の原曲は、美女クヤマが役人の賄女に望まれて「目差主は嫌だけど、与人(ユンチュ)ならよいです」という歌詞。それが、「目差主は嫌、与人もゴメンです。島の男を夫に持つのが後々のためになる」という逆の歌詞となって、八重山で歌われるようになった。
 開拓のための強制移住の苦難を歌う「舟越(フナクヤー)節」など、「移住を命じた役人は頭職になってくれるな」と恨みを歌いながら、最後には「新村は住みよいところになった 役人は頭職になってほしい」と逆転する。正反対の歌詞が混在している。民謡は長く歌い継がれている間に、歌詞が付け加わることはフツーのことである。そこには、民謡を歌い継いでいく島の人々のさまざまな思いが込められている。
 話は横道に入った。八重山の「川平節」は沖縄本島でも同じ題名で歌われている。雑踊りの中で数少ない打組み踊りの一つである。歌詞は、元歌とは無関係である。士族と遊女との恋を歌う。男女の掛け合いで、物語風に展開する。12番まである。さわりを紹介する。
                  
 「♪彼女の面影に引かれて 私は笠に顔を隠して忍んで逢いに来た」と始まる。
 彼女は、生涯あなたを連れて遊びたいが、遊女の身では自由にならないと答える。遊女でも自由にならないということはない、私のことを心に染めてくれと迫る。でも彼女は、どうにもならないから、他所に行って欲しいという。彼は他所に行くのなら何のため心を焦がして泣いているのか、と諦められない。もう少し時節を待ってほしいという彼女に向かい、「いっそここで死のう」と迫る。ついに彼女も「命を捨てるほどの思いなら、あなたと一緒になりたい」と応える。
 「♪天のお助けか神の引きあわせか あなたを連れて家に戻れるなんて なんとうれしいことよ」
 本島の「川平節」は、最後はめでたく結ばれる。テンポも軽快で、これはこれで面白い、楽しい歌である。
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