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レキオ島唄アッチャー

八重山と宮古の民謡の交流、その6

 宮古の「とうがに兄」は同名異曲か
 八重山の「とーがにしぅざ節」と曲名が同じ宮古の「とうがに兄(スウザ)」のCDを聴いてみた。唄・三線、平良重信さんで「宮古民謡百曲集―初心者からの練習用(その5)」に入っていた。平良氏の歌っている歌詞は8番まであるが、1,2,4番を紹介する。
♪とおがにすうざがあらぱなぬ出会(イデア)まやよ ヤイヤヌ
 ヨーイマーヌー 出会まやよ ニノヨイサッサイ
♪むみや河底ぬやらぶが下んど出会まやよ (囃子は省略)
♪斧持ちいき金や持ちいきなぎかいらしよ

                  
    平良重信さんの「とうがに兄」(囃子は入っていない)
 『日本民謡大観 沖縄・奄美(宮古諸島篇)』にも「とーがに兄」の歌詞と訳文が掲載されている。平良氏が歌っている歌詞と一致する部分だけ訳文で紹介する。
♪唐金兄との最初の出会いは 出会いは(囃子は省略)
♪嶺川底のヤラブ木の下で出会った 出会った
♪手斧を持って行き 鉄を持って行き薙(な)ぎ下ろし 薙(な)ぎ下ろし

 八重山の「とーがにしぅざ節」とは、題名は同じであるが、歌詞を見る限り共通する内容はない。
 なによりも、CDで聴いてみると「とうがに兄」は、旋律やテンポとも八重山の「とーがにしぅざ節」とはまったく似ていない。というか、平良さんの唄を聞く限り、八重山の曲よりテンポが速く「クイチャー」のようである。もっとも代表的な「漲水のクイチャー」などと比べると少し遅いが、旋律はとってもよく似ている。囃子の「ヤイヤヌ」「ヨーイマーヌー」「ニノヨイサッサイ」はまったく同じである。
          
           国吉源次さんの「漲水のクイチャー」

 これはどう考えても、八重山に伝わった元の歌ではありえない。同名異曲だといわざるをえない。
 考えて見ると、宮古の人が八重山の人に民謡を伝授する場合は、やはり宮古の最も代表的な歌を選ぶのが自然な流れではないだろうか。とすればまずは「とうがにあやぐ」を歌って伝授したのではないだろうか。
 八重山の曲の元歌が宮古の「とうがに兄(スウザ)」ではなく、宮古の「とうがに(あやぐ)」であるとすれば、當山氏が指摘する通り八重山の「トーガニシゥザ節」は「とうがに(あやぐ)」の「なんと素晴らしいことよ、誉れ高いことよ」と褒め称えた曲名という解釈に納得がいくのではないだろうか。

 八重山と宮古の民謡の交流について、いくつかの曲と伝承について見てきた。
 私もこれまで、「変容する琉球民謡」と題して、八重山から沖縄本島の古典音楽、民謡への変化や八重山と宮古、八重山と奄美との民謡のかかわりなどに興味を持って私見を書いてきた。しかし、明らかに元歌があって、歌詞を変え、旋律も少しアレンジして、別の曲として歌われている曲は、その継承関係を指摘するのは意味があると思う。だが、旋律の一部が似ているというだけでは、民謡界ではたくさんあるので、類似曲として扱うのは無理な場合がある。
 
 新崎氏も次のように指摘している。
<双方の民謡はもともと源流は一つであったかも知れないが、長い年月と、その土地の地域性の趣好や生活習慣による相違で全く異なった民謡として形づくられたのであろう。…
 民謡の発生から開花までの歴史的過程を辿って見ても言えることで、それぞれの異なった生活環境や自然的条件からは、初めのうちは、如何に同じものを吸収したにしても長い期間の裡にはその土地の人々のニーズに合うように変化していくもので決して同質な文化は生まれてこないからである。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>
 
 八重山諸島や宮古諸島には、それぞれ素晴らしい民謡が歌い継がれている。お互いに影響しあった曲があることは確かだが、それぞれの島、地域で長い歴史の中で、人々に歌い継がれ、愛され、育まれて、それぞれの島々の色彩を帯び、そこに生きる人々の魂が宿っている。それぞれの民謡に高い価値があり、独自の魅力があると考える。それが民謡の本来の姿でもある。
 終わり


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