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レキオ島唄アッチャー

八重山と宮古の民謡の交流、その1

 八重山諸島と宮古諸島は、いずれも民謡の宝庫である。味わいは少し異なるが、それぞれ名曲があり、愛されている。
  八重山の名曲といえば「トゥパラーマ」がまず頭に浮かぶ。ところが、この曲は宮古のアヤグに影響を受けたという話を聞いて少し驚いた。逆に八重山から宮古島に伝わった民謡の伝承もある。宮古島と八重山の民謡はお互いにどのように影響を及ぼしたのか、その伝承の事例を少しだけ探ってみた。

 

「トゥバラーマ」が宮古から伝わったという説の有力な根拠として、その趣旨がかつて新聞記事で掲載されたことがある。新崎善仁著『八重山民謡の考察』(1992年出版)の中で「トゥバラーマの歴史的原点」について考察した論考があり、その中で紹介されている。


 「トゥバラーマ」は宮古から伝わった?

 新崎氏によれば、先年(掲載時期は不明)、「琉球新報」随想欄に、琉球大学教授亀川正東氏の「音楽異聞」が掲載された。新崎氏の記憶によれば、次のように記されていたという。

 「八重山民謡と言えば、今でこそ、琉球のティピカル(注・代表的)なものとして内外にひろく宣伝され、愛唱されているが、その反面、宮古民謡はさほどかえりみられない状態である。しかし、厳密にいうと、八重山民謡の多くの曲の原形は、宮古民謡にさかのぼり、その例えをトゥバラーマや、アガローザーに採って、前者は宮古トゥガニー、後者は、アガリザトンナカをアレンジしたものである。」(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)

            
 この記事が掲載された当時、「八重山の民謡界に大きな波紋を投げかけ一時騒がれたことがある。あれから、すでに
20年の歳月を経ていますが今もって、宮古の民謡界の中には、その当時の説を鵜呑みにしておられる方がおられることは、八重山民謡界の将来に悔いを遺すことにもなりかねないと思い、今一度、その歴史的背景を明確にする必要があるのではないかと思う」(同書)。新崎氏はこう記している。

 亀川氏が何を根拠にして、八重山の「トゥバラーマ」や「あがろうざ」が宮古民謡をアレンジしたものと断定したのかは、残念ながら不明である。八重山民謡の中に宮古民謡を採り入れた曲がいくつもあることは確かである。私もこのブログで、「あがろうざ」や「でんさ節」は宮古民謡が原曲ではないかと推理したことがある。ただ、「トゥバラーマ」の場合は、どうも宮古民謡の香りがあまりしないので、にわかに信じられない思いである。

 
 新崎氏は、亀山説に次のように異論を唱えている。

<若し、仮に「音楽異聞」のお説のとおり、八重山民謡の多くの曲の原形が、宮古民謡をアレンジしたものであるならば、少なくとも、八重山民謡のどこかに宮古的な香りと、持ち味が感じられなければならない。しかし、八重山民謡「トゥバラーマ」や「あがろーざ」のメロディーや、曲想からは、微塵も宮古的なものは感じられない。八重山民謡は、あくまでも八重山という豊かな自然と風土の中で醸し出された大陸的な感じがする。

 民謡の発生から開花までの歴史的過程を辿ってみると、それぞれの異なった土壌からは、決して同質な文化は育たない。しかるに、宮古民謡の原形は、あくまでも、宮古の土壌が遺したアヤグが、その基本的な形であり、八重山民謡は、八重山の風土の中で育ったアヨー、ユンタ、ジラバから発展している。

 このように、両民謡はそれぞれの土地や風土と深い係わりのある貴重な文化遺産であって、そのため、その価値は高く評価される。
            

次に、本題の伊良部トゥガニーについてふれてみよう。伊良部トゥガニーの旋律を聞いてみると、確かに、部分的には、トゥバラーマに似ているところもあるが、しかし、その旋律やリズムを分析検討してみると、前奏、間奏の部分は、むしろ、トゥバラーマのメロディーよりも、デンサ節の旋律の部分に変化をつけ、ところどころに、トゥバラーマのメロディーに似た旋律を採り入れた感がする。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)>


 伊良部トーガニとトゥバラーマの旋律は、部分的には似ているところもあるが、全体としては似ているとは見ていない。私の印象では、部分的にもあまり似た感じがしない。

 両曲は、八重山と宮古を代表する名曲であり、新崎氏が指摘するように「両民謡はそれぞれの土地や風土と深い係わりのある貴重な文化遺産」であるということに共感する。

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