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レキオ島唄アッチャー

八重山と宮古の民謡の交流、その3

「八重山とうがに」と呼ぶ地区も


伊良部島では「とうがに」を「八重山とうがに」と呼ぶ地区があるらしい。

三隅治雄解説書『沖縄音楽総覧(宮古民俗芸能謡篇)』の中に、伊良部トーガニについて次のように記されているという。

<『…現行の「とうがに」を聞くと、その旋律が八重山地方の「とばらま」(省略)に似ていて、それとの関連が一方に考えられます。

伊良部島の佐和田地方ではこの「とうがに」を「八重山とうがに」などと呼んでいるそうです。』(新崎善仁著『八重山民謡の考察』から)>


 三隅解説書でも、「とうがに」の旋律が「トゥバラーマ」と似ているとし、伊良部島佐和田では「八重山とうがに」と呼ぶとのべている。なぜ「八重山とうがに」と呼ぶのだろうか。それだけでトゥバラーマと関係があるといえるのだろうか、不思議である。

新崎氏は「これ等、伝承から推測する限り伊良部トーガニは八重山のトゥバラーマと何等からの関連があるような気がしてならない」として、再度、喜舎場永珣著『八重山民謡誌』に記載されている次のような伝承を紹介している。


 <○…この歌謡は、登野城村の故金城長保氏の祖先が黒島首里大屋子職時代に、
公物宰領役として、上沖の際、宮古島八重干瀬で座礁、難破したところを島民ならびに宮古蔵元に救けられ、手厚い介抱をうけたうえ、新造船を与えられて帰省したが、途中、ふたたび疾風にあい、西表島西南にある中神島(ナカノオン)に漂着した。(中略)

○…(省略)この歌は今から167年前頃の作である事は推測される。この歌は黒島首里大屋子が宮古に滞在中に、島の女と恋愛していたが、いよいよ別れの際に即興詩となってあふれ出た歌だと伝えられる。それは囃子に「湧川の親ガマ主」と宮古語を謡っているのでもわかる。(新崎善仁著『八重山民謡の考察』から)>

<これ等、双方の資料を総合してみると、先に述べた佐和田地方に伝わる「八重山トーガニ」(伊良部トーガニ)は八重山のトゥバラーマとの関連が深く、おそらく、黒島首里大屋子湧川氏が離別の際、その悲しみを即興で謡った歌、「昔トゥバラ―マ」のメロディーが、その地方に流布し、それが何時しか、トーガニ風の発想で現在歌われている「伊良部トーガニ」へ衣更えし発展していったのではないかと推察される。(同書)>

新崎氏は、こうした伝承からすると、八重山のトゥバラーマは宮古から伝わったという「亀川正東氏の随想『音楽異聞』の説は、むしろ、逆ではなかろうか」とのべている。

 

              
      

喜舎場氏が採取した伝承を読むと、首里王府に出かけた際の八重山、宮古など島人の交流や船の遭難、漂流で、滞在した際の交流などを通してお互いに民謡を歌いあい、交換する機会がたびたびあったことがわかる。

ただし、黒島首里大屋子の湧川氏が、滞在中に恋仲となった女性との別れの悲しみを歌った「昔トゥバラーマ」が流布したという伝承は、まだとても信じられない。

というのは、何よりも伊良部トーガニは、別れの悲しみを歌った曲ではないからだ。

 伊良部トーガニは、宮古島にいる男性が伊良部島の愛する女性に逢いに行く内容の曲である。歌詞では「伊良部島との間には休む瀬があればよいのに」「小さな舟で瀬を渡り、水巣で舟を休めおいで下さい」「板戸は音高いので、音の鳴らないムシロの戸を下ろして待っていて下さい」と歌っている。歌詞が時代とともに変化するのは常識だが、この歌詞は、これだけ物語としてまとまっていて、他の歌詞から加工してできた歌の内容ではない。歌詞をすべて作り直して別の歌詞にした替え歌はあるが、この曲の場合は、旋律と歌詞がよくマッチしていて、とても替え歌とも思えない。

  「伊良部トーガニは即興的な叙情歌で、推定500600年前に伊良部島の歌の名手トーガニ(唐金)が歌ったものとされ、後世の歌い手が編曲した」。「伊良部トーガニまつり実行委員会」はホームページでこのように説明している。


 島で干ばつが続いたため、唄の上手いトーガニが雨乞いの唄を習うために、八重山へ赴き、帰りを待つ娘さんが生き神になったという伝説もあるそうだ(「美ら島物語」HP「沖縄の島唄めぐり 恋ししまうたの風 第10回 伊良部トーガニ」)。
 八重山に雨乞いの歌を習いに行くという習慣があったとは、驚きである。とても興味深い話である。
  

 追記
 大川恵良著『伊良部風土記』によれば、「伊良部トーガニ」(大川氏は「伊良部タオガニアアゴ」と表記)について、次のように解説している。
<タオガニは、お祝いの座敷や酒座でよく歌われている。歌の主題は、自然、恋愛、教育、協力、福祉、社会等に関する歌が多く、内容は一般に相手の気持や境遇を洞察して、相手を喜ばしたり感激させたりする文句を即興的に表現する…旋律は装飾音やレガートで構成されているので感傷的で悲愴な感を相手に与え、素朴な発声の持ち味と相俟って聞く人をしてうっとりとさせる。封建政治の圧迫と差別を強いられ、
毎日の生活が苦労と忍従で過した住民の心からの叫びのように聞こえて感無量である。>
  大川氏は、その歌詞として31首を掲載している。この解説と歌詞を見ると、「伊良部トーガニ」が八重山の歌と関係があるのか否か、歌詞の面から対比してもあまり意味がない。伊良部の島と住民の生活の中から生まれ、愛され、歌い継がれてきた民謡であることがよくわかる。


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