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レキオ島唄アッチャー

八重山と宮古の民謡の交流、その2

八重山と宮古の民謡を交換?

八重山と宮古の民謡の旋律の類似点について、新崎善仁氏は、喜舎場永珣著『八重山民謡誌』に記載されている伝承を次のように紹介している。

「八重山の古老の伝承によると、那覇での公用がすむと、先島の人々は集まって、各島の民謡を歌って慰安会を催した。そこで八重山民謡のアガロウザ節を宮古人へ伝授したのに対して宮古からは、トゥガニゾーサーの歌を交換的に口伝したという。」(新崎善仁著『八重山民謡の考察』)

首里王府に公用で出張した役人の慰安会で、八重山と宮古の民謡を交換したという伝承は興味深い。
 私が通っている八重山民謡サークルの先生からも、「あがろうざ節を宮古の人にあげて、宮古から別の曲をもらったらしいですよ」と聞いたことがあった。この喜舎場氏の著作が根拠になっているのかもしれない。喜舎場氏は、「あがろうざ」は、大宜味信智の作としている(『八重山民謡誌』)。「おそらくユンタの子守歌を節歌へ改作したものであろう」(仲宗根幸市編著『琉球列島島うた紀行 第二集八重山諸島 宮古諸島』)。つまり大宜味氏のオリジナル曲ではなく、ユンタとして歌われていた曲を、三線で演奏し歌えるように工工四(楽譜)に編曲したということだろう。

             

「あがろうざ」と「東里真中」は同名異曲

仲宗根氏は、八重山の「あがろうざ」と宮古島にある「東里真中」(あがりざとぅんなか)という子守歌は「同名異曲」とする。次のように解説している。

<「あがろうざ」とは石垣島では東の村里(登野城ではないか)とみられている。

ところで、宮古に「東里真中」という子守歌があり、歌の内容、旋律も両地の歌は似ている。八重山の人はおらが島がルーツといい、宮古では自分たちのところがルーツと主張している。歌詞に「とぅぬすく」が出てくるので、八重山の人たちは「登野城」と解釈し、宮古の人たちは「己ぬ城」(自分の屋敷内)と考えている。

どちらがルーツで古いかは未解明だが、八重山の歌は子守歌のユンタから発展し節歌となって洗練され、宮古のあやぐは素朴でより情緒的な感じを受ける。二つの歌とも抒情性豊かな美しい旋律が魅力である>

仲宗根氏は、ルーツについて判断せず、「どう関連しているかが究明の課題となろう」とのべている。        


            
 注目される「九年母木」の歌詞 

どちらの曲がルーツであるのかを判断するのに、なにより重要なのは歌詞に出てくる「九年母木(くにぶんぎ=ミカンの木)」だと思う。「あがろーざ節」では、「九年母木ぬ下なか 香さん木ぬ下なか 子守りゃ達ぬ揃る寄てぃ」と歌う。「ミカンの木の下に守姉が集まっている」という歌意である。それはたんなる情景描写に過ぎない。歌全体の中でミカンの木は特にたいした意味を持たない。
 しかし、宮古の「東里真中」は異なる。次のような歌意である。

自分の庭にミカンの木を植える。ミカンの木が生長して、人の丈ほどになり、花を咲かせ、実をつければ、守姉の仲間が集まって、ミカンの玉を剥いて遊ぼう、私がお守りしてあげたら、ミカンの木のように、香り高い木のように、島中、国中にとどろく偉い人になりなさいと歌う。

「守姉が自分の子守した子どもの成長、又は立身出世を願う心情を蜜柑の木の植栽から成木期になるまで渾身を込めて栽培し育てた過程になぞらえて歌われる子守歌」(真栄里孟編著『宮古古典民謡工工四』)。
 ミカンの木の成長と子どもの健やかな成長が重ね合わされており、ミカンの木はこの曲のキーワードのような意味を持つ。ミカンの木を軸にして、曲全体に論理的な一貫性がある。つまり、どこかの曲を元歌として、歌詞を少し変えたり、継ぎ接ぎした曲ではありえない内容である。

以上の理由で、私は宮古の「東里真中」が元歌であると考える。ただし、「東里真中」と「あがろーざ」は、歌詞は共通性があるけれど、演奏を聴いても、前奏からまるで違うし、旋律を聴いてもあまり似た感じがしない。不思議である。

両曲のどちらが元歌なのかは、もはやあまり意味がない。「あがろーざ」は八重山民謡のなかでも、私は大好きな曲である。旋律も素晴らしいし、子どもの健やかな成長と、学問をしっかり身につけて、立派な人になってくださいと願う歌詞の表現は、「東里真中」を超えるものがあるのではないだろうか。




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