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レキオ島唄アッチャー

「朝ばな節」考、その2

 諸説ある「朝ばな」の意味
 「朝ばな」の曲名と意味については、諸説がある。
 <節名の「あさばな」(朝端)は、明け方の意。「はな」は初っ端、出花などの言葉にも通じ、朝明けのすがすがしさをめでたいとする心かがこめられている。そのため、一番最初に歌う挨拶歌になっている。叉、その歌心のめでたさから祝典歌にもなっている。(同武下和平 CD「立神」解説書より転載))>
 
 <曲名は、昔は"はやり節"と言われていたようですが、明治時代になってから、"あさばな"に変わったと言われております。その"朝ばな節"は、若く美しい比喩としての朝花と、尻軽女を意味する「浅花」の意が含まれていると言いわれております。しかし、「朝花」は、「朝ばな」であり、朝の初っ端(しょっぱな)が転じたものではないでしょうか。(「奄美の館」HP)>
 この解説は、「若く美しい比喩」「尻軽女」の意味という説を紹介しながら、「朝の初っ端が転じたもの」と結論づけている。逆にいえば、「朝の初っ端」から転じて「若く美しい比喩」「尻軽女」という意味でも使われているということになるのではないか。
 
 小川学夫氏は、この「朝の初っ端」説は再考を余儀なくされているとして、次の見解をのべている。
 <曲名の由来につていは、今日歌う人、聞く人の間ではほとんど分からなくなっている。研究家 の間で最も有名なのは故文(注・かざり)英吉氏の説で、次のようなものである。
 曲名の朝ばなは、朝の入り口、朝の初まりで夜あけ、れい明という意味を持ち、やがて事の初まりといった意味にも発展した>
 <ところが、近年の調査により、各島から
○あさばなに惚れて 吾きゃや振り捨てて 花ぬ萎れれば 吾事(わくと)
 思うぶしゃれ
 (朝花のように若く、浅い女に惚れて、私を振りすてたが、
 花が萎れて魅力がなくなったらまた私の事を思って下さい) 
 ○あさばなにふれて 吾妻(とじ)暇くりて にゃまに思(うむ)いば
 吾肝(わちむ)やみゅい
 (朝花のような女に惚れて私の妻に暇をくれたが、今に思えば私の心が痛む。)
 といった歌詞が発見され「あさばな」という節名も、この系統の歌詞からついたとする見方が有力となってきた。とすれば「あさばな=朝の端」説は、ここで再考を余儀なくされるわけである。(「小川学夫 奄美民謡誌」HPからhttp://www.amakyoken.com/simauta/index.php)
              
 ここでは、「あさばな」は、女性の形容詞として使われている。小川氏によると「朝花のように若く、浅い女に惚れて」「朝花のような女に惚れて」というような歌詞は「奄美 大島、喜界島、徳之島の全域で歌われていた」という。
 曲名の由来について、諸説あるにしても、「あさばな」が「朝っ端」や「浅い女」など多義的に使われているようだ。
 いずれにしても、「あさばな」の曲名に「花」の意味はないので、漢字で「朝花」と書くのは誤りだとなる。「朝ばな節」「あさばな節」と表記するのはそのためらしい。

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