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レキオ島唄アッチャー

ニライカナイはどこにある。オナリ神信仰

 オナリ神信仰をめぐって
 吉成直樹氏の『琉球民俗の底流』では、「オナリ神信仰をめぐる問題群」についてのべている。とくにここでは、主に国頭で古くから行われているシヌグとウンジャミ(海神祭)との関係を考察している。吉成氏の見解に入る前に、まずこの祭りついて見ておきたい。
 シヌグは次にような祭りである。
 「国頭村安田(あだ)で旧暦7月の初め、亥の日に行われる。厄払いに重きをおいた豊年予祝儀礼。400年近い歴史のあり、ウンジャミ(海神)祭とならぶ重要な祭祀。国の『重要無形民俗文化財(1978年)』。シヌグは兄弟ないし男の祭という意味があり、男達が中心。山の神に農作物の豊作、集落、家族の繁栄をまず祈り、次の海に向かって同様の祈りをささげる。男達は草木を身にまとい、神に扮して村を浄めるために山を下りてくる」(『沖縄大百科』)
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 ウンジャミ(海神祭)は次のような祭りである。
 「旧暦7月の行事で、盆行事後の亥(い)の日とする所が多い。穀物の収穫を終えた、農耕暦の1年の境目の時期で、そのときにあたり、祝女(のろ)を司祭者として、海神を迎え、豊作と豊漁を祈願する。シヌグと対(つい)をなしている村も多い。国頭郡北部には、シヌグと隔年に行う村もあり、海神祭を女の節供、シヌグを男の節供と説明したり、シヌグを大(ウフ)シヌグ、海神祭をシヌグ小(グワー)と規模により呼び分けたりしている。シヌグが、成人儀礼的な男子を中心とする村落組織による祓(はらえ)の行事であるのに対して、海神祭は、与論島で祝女海神(のろうみがみ)(ヌルウンジャミ)というように、成巫(せいふ)儀礼を伴う、祝女が率いる女子中心の祭祀(さいし)組織による祈願の神事の色彩が濃い。」(「日本大百科全書」)
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                 安田のアシャギ
 吉成氏は、小野重明氏の議論を引用して以下のようにのべている。
 <国頭では古くから照葉樹山地を舞台にシヌグの祭りが行われてきた。シヌグは国頭から奄美にかけての土着のお祭りであり、北山王の下でのお祭りであった。中山王による三山統一の後、第二尚王朝三代の尚真王の時代を迎えて、聞得大君(注・キコエオオキミ)を頂点とするノロ神女制度が確立されるとともに、王朝文化を支える海洋性平地文化は大きく進展する。国頭の地にもそれぞれの集落にノロ制度の祭祀が整えられたが、ウンジャミはその神女制度が国頭へ持ち伝えた祭りではなかった。国頭に土着した照葉樹山地文化と、首里からノロ神女制度がもたらした海洋性平地文化との対立抗争がおこった結果としてウンジャミが国頭の地でつくられた(小野)。
 シヌグとウンジャミの出自=系譜は異なり、かつ男性年齢階梯組織の祭りが先行して形成された祭りであるとするのである。この点を補足すれば、安田では、ウンジャミとシヌググァ(小シヌグ)と呼んでおり、ウンジャミはシヌグより後発の祭りであることを示唆している。>

 吉成氏は、男性中心のシヌグは、女性中心のウンジャミより先行して形成された祭りであり、ウンジャミが後発の祭りだとする。
 その根拠として次のようにのべている。
 <女性の霊的優位あるいはオナリ神信仰が基礎にあるならば、琉球列島に広くみられるような、女性(姉妹)が男性(兄弟)を守護するという形式の祭りになるはずであり、シヌグのような男性のみの祭りは成立しなかったと考えるのが自然である。男性主体の祭りと女性主体の祭りという対になり、対抗関係にある祭りが存在すること自体、オナリ神信仰がそれらの祭りが成立する以前には存在せず、関与していないということを示している。
 素人は、オナリ神信仰はとても古い歴史をもっていると思い込みがちである。しかし、そうではないらしい。
「国頭に土着した照葉樹山地文化と、首里からノロ神女制度がもたらした海洋性平地文化との対立抗争がおこった結果としてウンジャミが国頭の地でつくられた」(小野)
 「女性(姉妹)が男性(兄弟)を守護する」というオナリ神信仰が古くからあれば、「シヌグのような男性のみの祭りは成立しなかった」(吉成)という論者の考察はとても興味深い。
   終り

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