レキオ島唄アッチャー

変容する琉球民謡、八重山から本島へ。「べんがん捕れ―節」

 「べんがん捕れ―節」
 黒島を発祥の地とする歌である。島に6つの集落があったころから歌い継がれてきた。各村の娘たちや男たちが得意にしていた漁の場面が次々に繰り広げられていく。「民俗芸能の傑作で黒島関係者の結婚披露宴には欠かせない演目」(當山善堂著『精選八重山古典民謡集』)という。
 長いので一番だけ歌意を紹介する。
                      黒島2

  「♪宮里村の娘たちは 村の前方の干瀬(珊瑚環礁)に棲む ベンガン(蟹の名)を捕えるのが得意だ さて同村の男達は 干瀬の外の クルムチゥ(魚の名)を捕えるのが巧みだ」
 この後、仲本村の娘は海草のミーガクを採取するのが上手、男はボーダ(ブダイ魚)を網でとらえるのが巧みだ、という風に集落ごとに6番まで続く。
 この曲は、本島の「黒島節」とそっくりである。本島では舞踊曲の「松竹梅」の一つになっている。次のような歌意である。
♪千年を経た松の木の緑葉の下で 亀が歌をうたえば鶴は舞い方をつとめます
♪沈香や伽羅を焚いて お座敷に出でて 踊る私の袖の香りの美しいことよ
 沈香(ジンコウ)は香木、伽羅(キャラ)は高品質な香木のこと。沈香は、日本では平安期に貴族の間で流行したという。なぜ、琉球王府の時代に、この沖縄でも沈香が使われたのだろうか。
 沈香の産地は、中国南部や東南アジア、インドなどが知られている。東南アジアとの貿易を展開していた中国や琉球から日本にも輸入されたようだ。
 琉球王府が中国からの輸入した品物リストが手元にある。これを見ると、1775年、沈香25斤、1837年には、沈香8300斤が輸入されている。その多くは日本などに輸出されたのだろう。
                   黒島の牛
      黒島の図と写真は「竹富町ホームページ」から
 永禄2年(1559)に琉球から島津氏へ贈られた進貢品中に真南蛮香(マナバンコウ、タイ産の沈香)50斤が見えるという(「戦国日本の津々浦々」ブログから)。 
 沈香を輸入していた琉球では、民謡で「沈香を焚いてお座敷に出て踊る」と歌われているように、王府と士族層、遊郭などで沈香を焚く文化があったのだろう。
 初めてこの曲を歌った時は「なぜ沖縄で沈香なのか、伽羅なのか」、どうもイメージがわかなかった。ドラマで貴族らが使う印象が強く、大和文化的なイメージがあったからだ。でも、東アジア諸国との交易によって栄えた琉球だから、沈香もその輸入、輸出品として扱っていたことが分かると、民謡でも沈香が歌われる意味が納得できた。
 話を戻す。「黒島節」の歌詞は元歌とはなんの関係もない。黒島にかかわる内容もまったくない。なぜこれが「黒島節」なのか。ただ元歌が黒島の歌というだけだ。しかも、八重山民謡には、別に「黒島節」という曲がある。同名異曲である。
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