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「潜伏キリシタン」とは?

「潜伏キリシタン」とは?
 今回の世界遺産登録で「潜伏キリシタン」という表現を初めて知った。これまで「隠れキリシタン」という表現しか知らなかった。
 「潜伏キリシタン」について、長崎県世界遺産推進課のホームページ(http://kirishitan.jp/values/val002)は次のように解説している。
 <
「潜伏キリシタン」とはキリスト教禁教期の1719世紀の日本において、社会的には普通に生活しながらひそかにキリスト教由来の信仰を続けようとしたキリシタンのことを学術的に「潜伏キリシタン」と呼んでいる。そして、彼らの「信仰を実践するために独自の対象を拝むという試み」と、「共同体を維持するために移住先を選ぶという試み」を併せて「潜伏キリシタンの伝統」と呼ぶ。なお、禁教期よりも前にキリスト教に改宗した人々のことを、同時代の日本ではポルトガル語由来の「キリシタン」と呼んだ。また、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も引き続き潜伏キリシタン以来の信仰を続けた人々のことを「かくれキリシタン」と呼ぶが、その信仰のあり方は解禁以降に次第に変容したとされ、変容が進んだ段階の人々を「カクレキリシタン」と表記する場合(研究)もある。>

 
       大浦天主堂、長崎県世界遺産登録推進課
           浦上天主堂(長崎県世界遺産登録推進課HPから)


 「潜伏」と「隠れ」の違い
 「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」の違いについてもう少し見ておきたい。ライター事務所「ツムギヤ」ブログでは次のように紹介している。http://writer-akira.com/blog40/


  <「潜伏」「隠れ」が誕生した背景には、国内における禁教の歴史があります。
 1549年、フランシスコ・ザビエルが種子島に上陸し、日本にキリスト教を伝えたのは有名な話。
 その後、次第に信仰が広まって「キリシタン大名」なども誕生しましたが、1614年に江戸幕府が全国に「キリスト教禁教令」を発布します。
キリシタンは信仰を隠したり、やめたりすることを迫られました。

「潜伏キリシタン」の場合
「潜伏キリシタン」は、禁教令が出た後も表面的には仏教徒を装いながら、キリシタンであることを隠し続けた人たちのことです。
 キリスト教徒であることは捨てませんでした。

 ちなみに、禁教令が出た30年後の1644年、日本における最後の宣教師・小西マンショが殉教してしまいます。
 潜伏キリシタンは、指導者が一人もいないなか、禁教が説(ママ)かれるまでの約230年間、信仰を守り続けました。
江戸時代は、生きるために仏教徒であることを表向きは受け入れざるを得ませんでした。

「隠れキリシタン」の場合

  一方の「隠れキリシタン」ですが、仏教徒を装っていた点では「潜伏キリシタン」と一緒なんですが、1873年に禁教の高札が撤廃されキリスト教が黙認されるようになったあとも、カトリック教会に戻ることなく、独自の信仰形態を続けました。
 
「独自の信仰形態」というのがポイント。「隠れ」の人々は、もともとキリシタンだったのに、こっそりと信仰を続けているうちに日本の昔ながらの民俗信仰などの影響を受け、独自の変化を遂げてしまった、ということが背景にあります。
 
カトリック教会に戻らなかったのも、カトリックとは異なる独自の宗教になってしまっていたからかもしれません。>
 
 
本来は、禁制下で信仰を貫いた潜伏キリシタンの人たちの歩み、苦難の歴史に思いを馳せるべきだが、個人的な関心で横道にそれてしまった。でも、今回の登録によって「潜伏キリシタン」のことにたいする関心が強まることはいいことだろう。




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