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変容する琉球民謡、八重山から本島へ。弥勒神の始まり

 八重山の弥勒神の始まり
 八重山の豊年祭には、よくミルク様が登場する。ミルク神は、とても愛されている。土着ではない弥勒神の信仰は、それほど古い起源があるとは考えられない。いつから始まったのだろうか。
 喜舎場永珣著『八重山民謡誌』に、弥勒神と「弥勒節」の起源についての記述があった。これが、ほんとうに史実なのかどうか、いまは確認する術はない。でも、興味深い伝承なので、「弥勒節」について書いたついでに、同書からあらましを紹介する。
 弥勒菩薩の始まりは1791年にさかのぼる。大浜用倫氏が黒島首里大屋子(頭職)職勤務の時、公用で首里王庁へ上国した。公務が完了して帰省の途中、低気圧に襲われて安南国(ベトナム)に漂着した。時に安南国は豊年祭で賑やかな行列や余興が繰り広げられていた。弥勒祭が挙行されたので、見学したうえその由来を聞くことができた。弥勒菩薩は豊年泰平の神であり、神を崇敬して祭典を行うことで、五穀は豊穣し、人心は調和して豊年で理想郷になるという。
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                写真は、八重山ではなく那覇市小禄のミルク行列
 それを聞いた用倫は感動して、この弥勒神を八重山に請来して祭ったら、孤島苦を解消してユートピアを築くことになると確信して、そのことを請願した。これが容れられて弥勒面と衣装を新調し、これを記念として、福州を経て琉球に着いた。
用倫は、公務で首里滞在を命じられたので、随行者であった新城筑登之(チクドゥン、琉球の位階)に弥勒菩薩と祭典の模様や由緒を村人に伝承するよう言い含めた。弥勒神は子々孫々まで新城家で保管するよう厳命した。この弥勒神は遺言通り、新城家に保管され現代に至っている。
 用倫は、心にたぎっていたミロクの歌が、琉球に着いた時完成したので、歌詞を筆写して新城筑登之に教えた。彼が帰郷して、村民に伝えたのが弥勒節である。
 用倫は、公務を終えて帰省の途中、台風に襲われ、再び福州に漂着したが、病魔に倒れ客死した。54歳だった。
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