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レキオ島唄アッチャー

15年ぶりの高知帰郷(下)

 反戦詩人の歌碑と墓を訪ねる

16日は、ホテルで自転車を借りて、早朝から市内を巡った。といっても長く住んでいた地元だから知っているところが多い。向かったのは、高知城の西側にある城西公園。かつて勤めていた役所の側の刑務所跡に造られた公園である。訪ねたのは反戦詩人、槇村浩「間島パルチザンの歌」の歌碑。道路脇の石碑がたくさん建立されている一角にあった。
 日本軍の朝鮮・中国侵略への間島(現在の中国延辺朝鮮族自治州)民衆の抵抗を歌った叙事詩である。高知に居ながら朝鮮・中国の民衆に思いを馳せた国際的な連帯の心が込められた槇村の代表作である。立派な歌碑だった。

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             「間島パルチザンの歌」の歌碑

  自転車をさらに走らせ、上町5丁目から北に入り永福寺の側を通って、槇村浩のお墓を訪ねた。案内板があるけれど分からない。教会の角を入ると記されているが「ここには教会なんかないぞね」と歩いていたおばちゃん。仕方なくさらにおじさんに尋ねると、もう一人の
おじさんも立ち止まって、「その墓なら前にも訪ねてきた人がいたき、こっちだと思うよ」と案内してくれた。「教会は前にあったがもうなくなったがよ」。道理で見当たらないはずだ。


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 山道を少し登ったところに槇村浩(本名・吉田豊道)とその母のお墓があった。槇村の詩集には青春時代にとても感銘を受けた。彼の全集を読むと、少年時代から広い国際的な視野をもっていたことがわかる。その詩作はいまなお多くの人々に愛されている。

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 お墓の近く、井口町には母方の祖父の家があり、夏休みなどよく遊びに来たことだった。ついでにお祖父さんの家に回ると、いまは誰も住んでいないが昔のままで残されていた。この家で過ごした
60年前の想い出が甦った。


 「自由は土佐の山間より」
 午後は、桟橋通
4丁目にある「高知市立自由民権記念館」に向かった。入口にある石碑には「自由は土佐の山間より」と刻まれている。65歳以上は観覧無料となる。
 憲法を作り国会を開こう、言論や集会が自由な世の中にしようと訴えた日本で最初の民主主義運動――自由民権運動は、土佐の人々が大きな役割を果たし、全国にその火が広がった。

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 常設展示室では、自由民権運動の歩みを文書資料、文献、写真、風刺画などを使って詳細に紹介している。この運動を担った人物では、これまであまり聞いたことがない人々も多数展示されており、いかに多彩な人々がその輪に加わり活動したのか、すそ野の広がりを感じる。中には郷里の佐川町出身者も
2人いた。

 一つだけ気になったのは、幕末維新とは区別して、自由民権運動に限定して展示しているため、たとえばジョン万次郎はまったく視野の外に置かれていることだ。でも、アメリカンデモクラシーを最初に日本と土佐に伝えたのは、アメリカなどで10年過ごして帰国した万次郎である。土佐の自由民権の思想的な源流には、デモクラシーを伝えた万次郎が位置する のではないかということ。万次郎が伝えたデモクラシーは、明治維新では実現しなかった。自由民権運動こそ、そのデモクラシーの思想と政治制度を日本で実現させる運動となったといえるだろう。

 万次郎といえば、高知では、幕末維新の偉人がたくさんいて人気度はあまり高くない。高知駅前には、坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の3人が土佐の偉人として銅像が並んで建てられている。観光客目当てというだけの少しグロテスクな像だ。万次郎の人気は45番目くらいらしい。でも、高知でも近年、評価は高まってきているようだ。

 

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夜は、大学時代の友だちら4人が居酒屋に集まってくれた。意外だったのは、友だちの一人とイギリスドラマにはまるという共通の話題で盛り上がったこと。イギリスドラマでは、「刑事フォイル」「刑事モース~オックスフォード事件簿」「名探偵ポワロ」「シャーロック」などが放送された。なかでも「刑事フォイル」は最高の刑事ドラマである。第2次世界大戦の始まりから終戦までを時代背景として、軍需工場に動員された女性、ナチスに共感する貴族など様々な人々の戦争への関わり、アメリカ人や在英の「敵国」ドイツ人、イタリア人の関わりなどを通して、戦時下イギリス社会の諸相が見事に描かれている。主人公のフォイルをはじめ登場人物のキャラクターも魅力的である。フォイルの人間味あふれる人柄や不当な圧力には屈しない気骨ある人間像にも魅かれる。

他のドラマも含めて、ハリウッド的な作り方とはまったく真逆の落ち着いて深みのあるドラマ作りは、イギリスならではである。友だちは、ノーベル文学賞をもらったカズオ・イシグロ氏の小説『日の名残り』とその映画の魅力のとりこになったそうで、勧められた。読みたいと思いながらまだ未読であり、さっそく帰りの高松空港で文庫本を買い求めて読み終えた。帰ってから、レンタルビデオ店で映画も借りて見た。本も映画も、執事が主人公という地味な設定なのに、作家の日本人ならではの繊細な感性による表現とイギリスならではの歴史や社会背景が相まって、見ごたえある人間ドラマとなっていて、ぐいぐいと引き込まれた。



 こうして、
3日間にわたり、ご無沙汰していた人たち、懐かしい同級生、友人たちと過ごせた時間はかけがえのないものである。忘れられない記憶となる。年齢を重なると、もう再び会えないかもしれない。人生にとって貴重な再会と別れになった。この時期に、思い切って帰省したことがとても有意義だったと痛感する。

帰省中は、ホテルでなぜか毎朝、5時半ぐらいに目が覚めた。気分が高まっていたのだろうか。帰りは午前810分の高速バスを予約していたが、早く起きたので8時まで待つ必要がない。バスターミナルで710分発の朝1便に変更してもらい、予定より早く高松空港に着いた。

高松といえば讃岐うどんが名物。1140分発の飛行機では昼飯も食べられないだろうと思い、少し早いが握り寿司付のうどんをいただいた。やはり讃岐ならではの美味さだ。
 この時期、那覇行きの飛行機は修学旅行生で毎日満席だという。旅行前に、ANAマイレージ会員になり、シルバー割引を利用して帰ろうと考えた。でも、これは空席がある場合だけ利用できる制度だ。たいがい空席はあるだろうが、もしも満席だったら、11便だから、旅行計画が破たんすることになる。その一抹の不安があったので、通常の早割、株主優待割引で少し安く航空券を購入していた。高松空港では、3つの中学校の修学旅行生が長蛇の列を作っていた。もしシルバー割に頼っていたなら、乗れない、帰れないということになっていただろう。胸をなでおろした。

飛行機に搭乗すると、わが早割航空券はプレミア席となっていた。ゆったりとくつろげる。おまけに、なんと昼食のお弁当まで出てくるではないか。五目寿司と煮物などの二段重ねで美味しそう。つい1時間余り前にうどんを食べたばかりなのに、このお弁当もまるで別腹のように見事たいらげた。

こうして45日の高知帰省の旅は終わった。懐かしい想い出満載の旅だった。宴席をもうけてくれた友人、車に乗せて案内してくれた元同僚、そのほかお会いできたすべての方々に「ニフェーデービル」(ありがとう)と伝えたい。沖縄にも来る機会があれば是非、お出でいただきたい。お返しのおもてなしをしたいと思った。

終わり 

                 

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