レキオ島唄アッチャー

15年ぶりの高知帰郷(中)

 ジョン万次郎資料館に向かう

 高知への帰省中は、行った日だけ雨がポツポツ降る悪天候だったが、翌日から空は晴れ好天候に恵まれた。気温も25度を超え暑い。でも朝は1617度くらいで、冷やっとするところが沖縄と違う。

15日も早く目覚めて、820分発のJRで宿毛に向かう。途中窪川からは土佐くろしお鉄道の路線となる。宿毛は、かつて高校卒業後、公務員として6年間働いた想い出深い土地である。56年前に赴任した時は、鉄道は窪川止まり。そこからまだ舗装もしていない道路をバスで4時間以上揺られて着く。高知県の西南部の遠隔の地だった。かつて佐川町から6時間ほどかかったのがいまは2時間17分で着く。隔世の感がある。

宿毛在住のAさんが、中村駅まで迎えに来てくれた。というのも、土佐清水市にあるジョン万次郎資料館を見たいという希望に応えてくれ、中村から清水に回るためだ。
 車は、四万十川と仲筋川の二つの川の間の堤防を走る。沖縄では絶対に見られない光景。風情がある。40分ほどでジョン万資料館に到着した。清水市はさすがに、行く先々に万次郎の文字が躍っている。清水の生んだ偉人として万次郎をとても誇りとしていることがよくわかる。

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       ジョン万次郎資料館

万次郎は、この清水市中浜で漁師の次男として生まれた。市内養老に資料館があり、足摺岬には万次郎像が建立されている。資料館はこの4月にリニューアルオープンしたばかり。とてもしゃれた外観である。
 展示室は、少年期ゾーン(中浜時代)、青年期ゾーン(アメリカ時代)、壮年期ゾーン(幕末維新時代)に分けて展示されている。とても詳細に万次郎の生い立ちと歩み、その功績が展示され、万次郎の人物と事績がよくわかる。この2月に沖縄の糸満市大渡海岸に上陸記念碑が建立されたことも紹介されている。

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  ここから生地の中浜に向かう。いまも漁師町である。万次郎の生家が復元されている。集落の中央部に車を止めると、案内板があった。車の通れない細い路地を150㍍ほど歩く。
 生家は当時のままに復元されていた。家々の軒を連ねるこの集落を見ると、こういう環境の中で少年期を過ごし、その後数奇な運命をたどる人間・万次郎がより身近になった気がする。

 宿毛市内を回って、中村駅まで車で送ってもらった。宿毛市内は鉄道の駅ができたのでその周辺に新しく店舗が集中し、旧市街地は寂れていっている。もう昔の面影はほとんど残っていない。かすかに、よくオートバイを修理したバイク店だけは記憶通りだった。

 旅行前に、宿毛・土佐清水回りはレンタカーで行く計画を立てていた。でもいくら高速道路が伸びていても、慣れない道を往復で6時間ほど運転すると、あまりにも負担が大きい。それに宿毛勤務当時は、窪川以西の鉄道は夢の夢だった。開通した鉄道にも乗ってみたい。Aさんに相談すると、鉄道で来れば車で案内すると快く承諾してくれた。Aさんには苦労をかけたが、お陰で快適に西南部を回り、かつての職場の動向やAさんはじめ知り合いの方々の近況など詳しく聞くことができた。Aさんに感謝、感謝である。

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  高知市に帰ってくると、その夜は宿毛時代の職場の同僚だった2人と会った。 50年ぶりくらいだ。「よく高知に帰ってきてくれましたねえ」と何度も再会を喜んでくれた。話し出すと青春の宿毛時代の想い出に話しは尽きない。

 2人は、お土産だと言ってわが郷里、佐川町の銘酒、司牡丹が出しているそば焼酎をプレゼントしてくれた。高知で思いがけない贈り物だった。帰ってから早速味見をしてみると、そばの独特の香りがあり、これまで接したことのない焼酎の味だった。高知では、昔はお酒といえば清酒ばかりだったが、いまは焼酎が人気らしい。カツオのたたきもたっぷり食べた。

 これからもお互いに元気で長生きしようと誓いあい別れた。

 

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