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「ジョン万次郎と西郷隆盛」テーマに講演

 沖縄ジョン万次郎会総会が5月20日、豊見城市社会福祉協議会ホールで開かれた。総会の後、守部喜雅氏(歴史作家)による「ジョン万次郎と西郷隆盛」と題した講演が行われた。

 守部氏は、クリスチャン新聞の編集部長を務めたジャーナリスト・作家である。講演は「日本の最初の国際人」であるジョン万次郎の精神性が世界に誇れるものであるとの視点から話された。講演の要旨は以下の通りである。

 西郷と万次郎は文政10年(1827)生まれで同じ年に生まれた。万次郎の子孫、中浜京さんは「万次郎が残してくれたものは隣人愛です」とのべているが、西郷も同じである。内村鑑三は、西郷の政治は二流だが、内面性は世界の誇れる、それは隣人愛であるとのべている。

 
  第
30代米大統領のクーリッジは、万次郎の帰国はアメリカ最初の大使を日本に送ったに等しい、彼がアメリカの姿を知らせたのでペリーは友好的な扱いを受けたとのべている。

 西郷は、万次郎が琉球から薩摩に連れて来られて島津斉彬と会った時はまだ会うのは難しかった。10数年後、久光により薩摩に招かれて航海術や海外情報など教えた際は、万次郎と会っていただろう。

 西郷は、1868年、鳥羽伏見の戦いを境に考え方が変わった。会津藩、庄内藩との戦いで、降伏した庄内藩主を2年間謹慎だけの「愛と許し」を実践した。日本の精神史になかったことである。

 勝海舟と万次郎が行ったという200年の歴史ある東京のうなぎ屋を訪れた。万次郎は一人で来る時は、いつもうな重を半分残して土産にしてくれと言う。「ケチな人」と見られたが、実は橋の下に住む貧しい人々に与えていた。弱者につねに寄り添う人だった

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 西郷は聖書に出会い人生観が変わった。遭難した万次郎を助けたホイットフィールド船長は敬虔なクリスチャンだった。万次郎を学校に入れ、教会に連れて行き、聖書をプレゼントした。日本に帰る時、聖書を持っていなかったのは、キリスト教が禁止され迫害されていたから。万次郎が長崎で牢獄に入れられたのもキリシタンの疑いを持たれたから。

 下田市の了仙寺(りょうせんじ)に万次郎が親しい人に贈った扇子に英語で文字が書かれている。訳すると「私は聖書を読めたおかげで今日の光栄を受けた。神を歌い続けよ、永遠に」。彼の内面性が出ている。「隣人愛」を大切にし、それに生きた人だった。

 万次郎の晩年は寂しかったが、最後まで弱い人に寄り添う生き方をした。多くの偉人が出ているけれど、このような精神性を持った人を他に知らない、私たちも学びたい。

 西郷と万次郎を, 精神性という新たな視点からとらえた講演だった。

 

 

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