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レキオ島唄アッチャー

南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその3。禁止令

アカマタに王府から禁止令が出された

アカマタ祭祀に対して、首里王府は禁止令を出して抑圧しようとした。八重山民謡の「赤また―節」の歌詞は、アカマター・クロマターが訪れる島の豊年祭には、遊び楽しむのが昔からの古い習慣だから、どうぞ許してくださいと役人に懇願する。さらにお許しだから、今年の豊年、来年の豊年を祈願して踊り遊ぼう。これからも「心が変わらないで下さい」と懇願する内容である。

<このような「神遊び」ともいうべき神行事に対する禁止示達令は当時の首里王庁から度々出されていた。ところが部落民達のその行事に対する執着は異常なほどに強く、一向にその禁止令は利き目が無かった。勿論のこと部落民等の嘆願があったことは当然であるが、もしこれを権力で弾圧すればするほど農耕に逆効果をもたらし兼ねなかった。そこで首里政庁においても遂にこの八重山諸島における「神遊び」を容認せざるを得なくなった。その時の古文書なども今日のこっている。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>

アカマタ―禁止令は、農民の歌い踊る楽しみを奪うだけではない。もし、豊年の祈願の祭りができないために不作、凶作に見舞われれば、重い人頭税の納税に困窮し、はては飢餓にも見舞われる恐れがある。農民が異常なほどこの行事に執着したのは、そんな事情があるからだろう。

 

「ニールピトゥ」はニライ・カナイの人

アカマタ神は、「ニロー神」「ニール神」と呼ばれるのはなぜだろうか。そこにはどのような意味があるのだろうか。

<この「アカマター神」の名称もまた小浜島では「ニロー神」と呼ぶが、石垣地方では「ニール神(ピトウ)」とよぶ。勿論全身草や蔓などで仮装して来訪する神である。すなわち賓客(神)である。宮良村では「ニール神」または「ニーロ―神」と尊称し、以前は今日のように「アカマター」などとは俗称しなかった。この「ニールピトゥ」は「根の国」「底の国」の人の意で、沖縄本島地方における「ニライカナイ」の神を意味していよう。…

川平部落では旧暦「2月タカビ」の日に、「ニランタ大親」をスクジ御嶽で迎える儀式がある。この儀式はこの1年間風干の災害がなく、五穀豊穣であることを祈願する儀式であるが、その際の祝詞の一節に、

「授けられるなら、天の大世をどうぞお恵み下さい。二ラン底・タラースクの世をばお願いします。…」

という文句がある。この祝詞中の「天の大世」も「二ラン底世」も豊年太平の世を意味する文句である。


 この「ニランタ大親」は、
2月タカビの日にこの島に来訪され、豊年の神として島の守護神となられ、9月の節祭(しいち)りの第5日目にまた「ニーランの国」へお帰りになられるが、その別離にはそれこそ盛大な儀式が催される。この「ニランタ大親」のことを部落では「真世神」と尊称し、「まーゆーがん」とか「まーゆんがなしい」などとうやまう。「マヤヌ神」はあくまでその別名である。…

このように八重山地方においては、神が遠く(根の国)から来訪するという信仰習俗がある。竹富島などの場合には、各戸を訪問するという形態はとらないが、その他の「アカマター神」の神事や「マヤヌ神」の神事などでは、いずれも神がおのれの身を粉飾し、各戸を訪問するという形態をとり、しかも豊年の神としての同じような性格をもって訪れてくるのである。そこには何んらかの類似性があり、またその名称上においても同様であるが、極めて興味深いものがある(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)。>

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