レキオ島唄アッチャー

南島に現れる仮面、仮装の神々、アカマタその2。小浜島のニロー神

小浜島の「ニロー神」

小浜島では、アカマタ神を「ニロー」と呼んでいるそうだ。

<ニロー神は、その面を朱にそめてあるから赤マタ―(男神)、墨で塗ってあるから黒マター(女神)の別名でよばれている男女二神を云うのである。

島人は“ニロー”と、石垣地方では“ニール人”とよんでいる。竹富島の西海岸に南(パイ)の彼方(ナーラ)から豊年(稲、粟の穀物の種子)を積んだ船が着く所(霊地)をニーランと云って、霊地として信仰している。また、深い海、遠方のことをニーラスクとも八重山人は云っている。(宮良賢貞著『八重山芸能と民俗』))>

 

小浜村の由来伝承

西表島古見のアカマタ祭祀がなぜ小浜島に伝わったのだろうか。

<この島名の小浜は後世の当て字で、古くは「クンママ」と称していた。すなわち「クン」は「古見」(クン)の意で、「マ」は小さいことの愛称語である。最後のマが脱落して「クンマ」となり、「小古見」という意味である。… 

すなわち往昔、古見より分村移住したといわれるこの島の伝承はそのままその島名に名残りをとどめている。分村移住の際に村の秘密祭祀たる「アカマター神事」も勧請されたものと考えられるが、今はそのことを徴すべき文献が見当らない。(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>

 

宮良村のアカマタ神祭

石垣島宮良のアカマタ神祭は、小浜島から伝わったとされる。

<宮良部落における赤マター・黒マター(ニーロピト)の祭祀は、元来小浜島で行われていた行事であった。すなわち明和81771)年、八重山諸島を襲った大津波は宮良部落を流失せしめ、ほとんど無人の部落に等しいまでにこの村を荒廃せしめた。そこで蔵元政庁は新しくこの村を再建すべく小浜島から村分(ふんばき)を行い、強制移民を断行した。その際小浜島から移住した人々が赤マタ―祭祀をこの新村に伝播せしめたのであった(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』))。>

 

宮良では、次のような由来伝承がある。

<往昔、中山王府へ貢物納入のため役人等の舟子としてお供を命じられた145人が、暴風に遭い、南蛮の島に漂着した。鬼面をかぶって踊る集団の様子を見て、付近の農作物が立派に稔っているので豊作の神だと思い、この鬼面を盗み取り、島を脱出した。(要約)

この鬼面の神のことを「ニーロー神(ぴと)」と尊称し、決して「アカマター・クロマター」などとは呼ばない。「ニーロー」または「ニールー」とは、底の知れざる穴の意で、この神は底の知れざる深い穴から出現される神、すなわちニライ・カナイの海の遙かなる国から来臨する神という意味である(喜舎場永珣著『八重山民俗誌上』)>。

南方から伝わったのか

アカマタは発祥の地、西表島の古見から小浜島へ、小浜から石垣島宮良に伝わったとされるのに、由来伝承は同じではないというのが面白い。

さて、アカマタ―祭祀は、もともとどこから伝わったのだろうか。どこか南方系の要素がありそうに思う。喜舎場永珣氏は、次のように指摘している。

<このアカマタ―祭祀の神謡及びその他の八重山古謡等を研究して行く限りにおいては、南方地方との関係がすこぶる濃いように思われる。現にその神事に唄われている歌の節々には「トゥ」(唐)とか「マナバン」(真南蛮)とか「アンナン」(安南)とか、あるいはまた「ハイヌシィマ」(南の島々)などという南方地方の名称が明確に出てくる事実や宮良、小浜などの由来伝承及びその神事そのものの持つ特異性などを考えたとき、外来の習俗のようにも考えられてならない。(『八重山民俗誌上』)>


 その根拠として、喜舎場氏は神事の際の神謡二首を参考としてあげている。

(其の一)古見村の赤マターユンタ (訳文だけ)

千尋も万尋もある 遠い遙かな海の彼方の 安南国から 渡って来られた 「白マター・赤マター」の神様… どうか来年こそは豊作の世に 来夏こそは尚稔りある年に お恵み下さいませ

(其の二)小浜・宮良・新城下地島などの各村で唄われている歌(訳文)

唐旅を転々と渡ること四旅 真南蛮旅を転々と渡ること三度 やっと七旅を重ね重ねて ついに八重山島にやって来た

この神謡でみるかぎり、やはり外来の習俗のようだ。

 

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