レキオ島唄アッチャー

南島に現れる仮面、仮装の神々、宮古島のパーントゥ

 南島に現れる仮面、仮装の神々

 沖縄の離島には、祭祀の時に異様な仮面、仮装姿で現れる神々がいる。異形の神々というのは、沖縄だけではない。鹿児島県のトカラ列島にもいるし、秋田のナマハゲもその代表的な存在である。なぜ神々は異様な姿をしているのか、そこにはどんな意味合いが込められているのだろうか。前からとても気になっていた。外間守善著『南島文学論』を読んでいると「南島に現れる異形の神々」という論考があった。沖縄各地には、次のような異形の神々が現れる。

 宮古島のパーントゥ
 沖縄でとくによく知られているのは、宮古島のパーントゥである。
 <宮古島の島尻という村落に、パーントゥプナカと呼ばれる祭祀が伝えられている。祭りは、旧暦9月の最初の戊(つちのえ)の日から二日間、というのが原則であるが、実際には9月の吉日を日取りして定めている。
 パーントゥという語の語源は定かでないが、プナカと呼ばれる祭祀に登場する異形、異装の仮面神をパーントゥといっている。プナカという語義もつまびらかでないが、村の人たちは祭祀、祈願祭という意味で使っている。(外間守善著『南島文学論』)>
 パーントゥは、全身にキャーンというツル草を巻きつけ、その上から異臭のする黒泥土を塗り、頭上にはマータという厄除けのための草葉を結んでいる。右手に仮面をもって顔をかくし、左手には杖をもっている。「村の人たちはこの異様なさまを旅姿だと考えており、異界からの来訪神として理解しているようである」(同書)。

             宮古島パーントゥ、文化庁
             宮古島のパントゥ(文化庁報道発表資料から)

    宮古島・島尻のパーント・プナハには、次のような伝説があるという。
 <今から百数十年前、島尻元島の西海岸(クバマ)の砂浜に、赤、黒の二つの仮面が、どこからともなく流れ着いた。その仮面は、鬼神の如く恐ろしい形相で、村の人々は近よることすら出来なかった。ちょうどその日は、里をあげての祭りの日であって、聖なる杜の中でツカサ(注・神女)達のおどろきは大変であった。はるかなる海の彼方からの神人の来訪だ。世持神の来訪だとばかり、その仮面を取って「このパーントゥの仮面は、鬼の如き人、赤黒の神の仮面かと思い信じて、このパーントゥの仮面、我が村の根所に来たるは、我が村の豊年のしるし也」と云い伝えている。(岡本恵昭著『宮古島の信仰と祭祀』)>
 注・「世持」とは豊かな世を支えるという意味がある。

 <村の二才(注・青年)、この鬼面をかぶり、身に草木のつる草(キャーン)を巻きつけて、我れは、世持ちの神、我れは世持ちの大主とて、村中をかけ回る。パーントゥ神の来訪は、この由来をもって、この島尻に伝来せしものである。パーントゥの仮面を信仰したところが、たまたま豊穣の年を迎えたので、毎年の如く、旧暦9月にこの祭事を行なうようになったという。(岡本恵昭著『宮古島の信仰と祭祀』)>
           
 
   岡本氏によれば、新築の家の壁や病人の額にドロをつけることは、古くからの伝統ではないらしい。次のように指摘している。
「訪ずれるパーントゥ神は、村の新築した家屋に厄払いと、予祝の霊性(セジ)づけを与える来訪神特有の呪術をする。家の壁などや、病人のひたいにドロをつけていくもので、近ごろからの民俗現象である(『宮古島の信仰と祭祀』)。」
 興味深いのは、八重山諸島の赤マタ、黒マタの祭祀と共通するところがあることである。
 「行動のすべては秘儀の中にあり、…頭上の後部に、ススキの穂先を三又に結んでたらすように立てておくのは、一説では八重山の稲穂の三すじを背に立てた赤マタ、黒マタの仮面神、来訪神(ニライの神)に相似たところがある。(同書)」
 岡本氏はこのようにのべている。パーントゥの始まりが「島尻元島の西海岸(クバマ)の砂浜に、赤、黒の二つの仮面が、どこからともなく流れ着いた」こととあわせて考えると、八重山の秘祭となんらかの関係があるのだろうか。赤マタ、黒マタについては後から見ることにする。

 宮古島のパーントゥは、強烈な異臭のする泥土を、住民や新築の家にも泥をつけて回ることで知られる。どんな綺麗な衣服を着ていようと容赦しない。子どもが泣き叫んでも手加減しない。人々は、泥をつけられると解っていて、寄り集まって来る。それは、泥をつけてもらうことによって、厄払いになると信じているからだ。
 パーントゥ祭の目的は、「村の厄払いをし、村の平和と村人の幸福をもたらすことにあると考えられており、仮面神は、村人に祝福を授ける役目を背負って出現するわけである」(外間守善著『南島文学論』)。
 最近では、奇祭として県外にも知られているから観光客もやって来る。当然、観光客であろうと、泥つけから免れない。泥をつけられてから、衣服の泥と臭いに困惑して、苦情を言う人がいるという。でも、それはこの祭りの本来の姿である。だから、祭りを見に行く人は、それなりの覚悟を持っていく必要があるだろう。そもそも、こういう伝統ある祭祀は、興味本位の観光の対象にはしないほうがよいのかもしれない。

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