レキオ島唄アッチャー

「底」の字がつく民謡の不思議、その10。「スク」から高低の「底」へ

「スク」から高低を表す「底」へ

もう一度「スク」の意味するものについて、外間守善氏の見解を見てみたい。

<古くは、神々の行動は水平軸に動いていたのに、それが天上と地上を結ぶ垂直軸を中心にするように変わっていったため、海の果ての遠い所をあらわした「スク」「そこ」の原意が、ものの高低をあらわす「底」という新しい意味を生みだし、それが言葉として広がり深まっていったのであろうと考えるからである。


 そうだとすれば、『古事記』の時代にすでに薄れてしまっていた日本古語の原意が、遠い南の島々に残映していたことになる。特に、海と海神と稲作文化にかかわっているスク地名は、海辺の高地にあって、遙かなる海(祖神のまします原郷)と深いかかわりを持つという聖性をもっていたわけである。(
『南島文学論』)>


 古くは神々の行動は「水平軸」で動いていたのが、いつの間にか天地を結ぶ「垂直軸」に変わったため、海の果てを表した「スク」の原意が高低を表す「底」という意味を生みだしたと見る。

スクの地名が、海辺の高地にあって祖神のいる遙かなる原郷と深くかかわる聖性をもっていたと結論づけている。

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            海の彼方にニライ・カナイがあると思われた(知念岬)            


 仲松弥秀氏も、神々のとらえ方が「水平軸」から「空(垂直軸)」に想念が広がった意味を次のように論じている。

ところで、島人の周囲は陸というよりは海と空であると言っても過言では無かろう。ところが海は陸地と結ばれた同一平面をなしている。なお海は何時・何処でも自由な姿勢で日常目にふれている。この点、空は仰がなければならない。日常天を仰いで起居しているということは無いが、水平を見て暮らしていることは異論が無いはずである。島の古代人が最初に海にひかれ、海の彼方にニライ・カナイを想定したことは自然であろう。といって、彼等は空を忘れたのでは無い。水平線は海と空とが一つになったところである。やがて彼等の想念は空にも拡がり、祖霊神も空を通って子孫の許に帰るとの想念が生まれ、日・月・星辰に注意が深くなるにつれて、海と空に対する神的想念も同格的になってきたと思われる。(『神と村』)>

外間氏と仲松氏の見解には、表現の違いはあるが、相通じるところがあると思う。


 


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