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レキオ島唄アッチャー

「底」の字がつく民謡の不思議、その8、「スク」のつく地名

 「スク」の名がついた地名――石垣島
 琉球列島には、「スク(底)」の名がついた地名がある。沖縄本島で、まず頭に浮かぶのは今帰仁村天底(あめそこ、あみすく)。民謡の「今帰仁天底節」をよく歌うからだ。八重山にも、野底以外にもいくつも底のつく地名があるという。
 石垣市字登野城、小字バンナに「石底(いしすく)」の地名がある。
 <「石底山(石城山とも書く) は神の居所として古来より島民の崇敬をあつめてきた。それは石垣四ヶ村の中心・石垣と登野城の祖の一人・マタネマシズがそこに住んでいたからであろう(『定本琉球国由来記』488 頁参照)>。
 石垣市字登野城も「とうぬすく」と呼ばれていた。「村の創建については宮鳥御嶽の伝説の中に語られており、古代からの村であるらしい」。
 「集落の東方に糸数御嶽、後方に小波本御嶽、イヤナス御嶽、牛ヌ御嶽がある。集落内には、天川御嶽、舟着御嶽、真泊御嶽、船浦御嶽、美崎御嶽、イチュムリィ御嶽、テンスイ御嶽、アマスイ御嶽、キチィパカ御嶽などの諸御嶽がある」
                        
天川御嶽1
     
 
                              天川御嶽(アーマーオン)の案内板

 石垣市字川平の小字名に真地底(まじいしく)がある。
 <「真地」の名をもつ土地は方々にみられるが、これは、この土地こそはまことの地であるという意で、「真」という接頭美称辞を冠してそれらの土地を呼称したことによるのであろう。>
  石垣島の地名については波照間永吉著「八重山歌謡にみる地名」から引用した。

 「スク」がつく集落跡は聖域――波照間島
 波照間島には「底」の名のつく場所がいくつもあるそうだ。
 <波照間には「スク/シュク」が語尾につく場所がいくつかある。「美底(ミスク)御嶽」(北集落)、「阿底(アスク)御嶽」(冨嘉集落)、「大底(ブスク)御嶽」(前集落)といった御嶽や、「ミシュク」(ニシハマ上)「マシュク」(北東岸)、「ペーミシュク」(冨嘉集落南)といった古い村落の跡である。 …
 「スク」のつく御嶽はいずれも「ウツィヌワー」(各集落の拝所、「シマの御嶽」)であるが、その周辺からは磁器、土器などが発掘されていることから、古い集落や屋敷の跡に立てられた御嶽だと推測されている。「美底御嶽」には15世紀末の英雄「獅子嘉殿(シシカドゥン)」の屋敷跡との伝承が残っているし、「阿底御嶽」は島の宗家として創世神話の残る家に隣接している。「大底御嶽」の地は、与那国に遠征した「ウヤマシアカダナ」に関連があるとされている。

 また、「スク」が付く集落跡はいずれも聖域とされ、遺構が手付かずのまま残されている。「ミシュク」に残る井戸は島の神事に重要な役割を果たしているし、マシュクも普段は畏れ多くて立ち入る事を憚れる場所とされている。…
 このように、波照間において、「スク」の名のつく場所はいにしえの島民の居住地が聖域となった場所であり、原初形態の「グスク」に相当しているといえる。…こうして見てみると、波照間において「スク(シュク)」は、聖域となった琉球王朝支配以前の村跡を指す名称であり、「グスク」の一形態であるといえる。(「波照間島あれこれ」HPから)>
 波照間では、「スク」の名のつく場所は「いにしえの島民の居住地が聖域となった場所」であり、原初形態の「グスク」に相当しているという。これはとっても注目すべき指摘だと思う。

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