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レキオ島唄アッチャー

上陸記念碑に見る万次郎の足跡、その1

ジョン万次郎が琉球にその第一歩を記した場所、糸満市大渡海岸に万次郎上陸之碑が建立された。記念碑は、六角形の台座の上に万次郎の銅像が立っている。台座は六角の各面には、万次郎の足跡を描いた絵図入り説明板が取り付けられている。説明板は、万次郎の足跡、功績が簡潔に記されており、万次郎に関心のある方々に是非、見ていただきたい。県内に数ある記念碑の中でも、銅像と台座の絵図の美しさ、内容の充実ぶりは、第一級の碑であると思う。機会があれば、大渡海岸を訪れてこの記念碑を直接見ていただきたい。

 

記念碑の紹介の前に、万次郎の上陸に至る経過を簡略に示した説明板があるので、まずはこちらから紹介する。

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万次郎アドベンチャラー号で琉球・小渡浜に上陸

 万次郎はハワイに到着後、帰国に際しサクラメントで得た資金で捕鯨ボートを購入し、アドベンチャラー号(adventurer)と名付けました。アドベンチャラー号は、長さ約8メートル、幅約1・8メートルで、帆1本、オール2本が備えられていました。

 また、万次郎の帰国に協力したハワイのデーモン牧師は、自らが発行する新聞・フレンド紙において、「彼が故国への帰還に無事成功すれば、日本と外国との国交樹立に大いに貢献するであろう。日本人と英国人、そしてアメリカ人との間の意思疎通をもたらす優秀な通訳になることは間違いない。ジョン・マンのアドベンチャラー号の成功を祈る。」と記されています。



  ここから後は、台座の各面を順序に沿って紹介する。 
  万次郎、足摺岬沖で嵐に遭い漂流、太平洋の孤島で捕鯨船に救助される

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   万次郎は、中ノ浜(高知県土佐清水市)で生まれました。
1841年、漁師になった14歳の万次郎は、宇佐浦からはえ縄漁に出ました。この舟には、船頭の筆之丞(後に伝蔵と改名)、重助、五右衛門の3兄弟と、寅右衛門、そして万次郎の5人が乗り込みました。ところが、漁に出て3日後に足摺岬沖で嵐に遭い、漂流しました。その後、太平洋の孤島・鳥島に漂着しました。そこで過酷な無人島生活を送り、143日後、アメリカの捕鯨船ジョン・ハラウンド号によって救助されました。

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 ジョン・ハラウンド号のウイリアム・
H・ホイットフィールド船長は、5人を安全なハワイへと連れて行きました。旺盛な好奇心と前向きな行動力で船長に認められた万次郎は、4人の仲間をハワイに残し、1人アメリカへ渡る決心をしました。また、そのころに「ジョン・マン」という愛称が付けられたといわれています。

 


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