レキオ島唄アッチャー

上陸記念碑に見る万次郎の足跡、その3

万次郎、摩文仁間切番所で取り調べを受ける、荷物には本や地図、ピストルも

            IMG_5424.jpg

 上陸した小渡浜で万次郎、伝蔵、五右衛門の3名は、浜に集まった小渡の村人たちから、温かいふかしイモをごちそうされました。万次郎たちは、親切な村人たちのもてなしに感謝の気持ちで胸がいっぱいになったといいます。また、万次郎たちは、持ってきた牛肉やコーヒーを火に掛け、その場で食して見せました。

        IMG_5425.jpg 
  万次郎たちの持物はすべて、摩文仁間切番所(米須集落内)の役人によって没収され、番所に運ばれました。荷物には、航海術書、数学書、ジョージ・ワシントン伝記、地図、八分儀、コンパス、ピストルなどがありました。取り調べをした役人たちにとっては、見たことのない品物ばかりでした。

 また、役人からご飯とお箸を渡され、3人とも上手に使いこなしたことから、日本人であることが認められました。 

 

 

  万次郎、宿道を歩き翁長村の高安家へ「いちゃりばちょーでー」精神に触れる

 

          IMG_5426.jpg 
  万次郎たちは、取り調べ後に那覇へ護送されることになっていましたが、摩文仁間切から真壁、高嶺、兼城、豊見城間切の宿道を歩き向かいましたが、那覇でイギリス人宣教師ベッテルハイムに会うことを心配した薩摩藩と琉球王府の役人は、「豊見城間切に戻せ」との伝令を出し、豊見城間切翁長村へ戻り、親雲上(ペーチン)の高安家(屋号:徳門)で幽閉されました。

      IMG_5427.jpg 
  万次郎たちは、半年間に及ぶ捕らわれの身ではありましたが、村の綱引きや毛あしびー(注:若者が夜、野原で歌い踊り遊ぶ)に参加するなど、村人たちと自由に交流することができました。また、かつて琉球の進貢船が遭難した際、土佐藩の人たちに助けられたことがありました。琉球国王は、土佐藩の人たちへの恩返しとして、万次郎たちへの手厚い保護のほか、豚、鳥、魚、泡盛、衣服などを贈りました。

 万次郎たちは、多くの人たちの「いちゃりばちょーでー」(注・一度出会えば兄弟)精神に触れることができました。

スポンサーサイト

史跡 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<上陸記念碑に見る万次郎の足跡、その4 | ホーム | 在沖縄高知県民の会新年会に初参加>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |