レキオ島唄アッチャー

変容する琉球民謡、八重山から本島へ。「舟越節」

「舟越節」(フナクヤーブシ)
 この曲は、開拓のための強制移住による村建てをテーマとした曲の一つ。石垣島の平久保半島の付け根にある伊原間(イパルマ)村の、村建ての様子を歌っている。
 伊原間村は、もとは小さな部落で、登野城、石垣両村から強制移住させ、1734年に与人(ユンチュ、村長)と目差(メザシ、助役)を置いて独立村となり、繁栄したが明和の大津波で人口の86%が溺死し、黒島から167人を強制移住させ」再建した。舟越村は、一寒村だったが、伊原間村に合併された(喜舎場永珣著『八重山民謡誌』)。
 歌は、イバローマ=フナクヤーの最初の村建のことではなく、「明和の大津波(1771年)によって多くの住民が溺死し壊滅状態にあった同村へ、黒島から強制移住により再建した時の物語である」という(當山善堂著『精選八重山古典民謡集』)。
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                   写真は伊原間、舟越あたりのはず。
  「イバローマ」と「フナクヤー」(舟越)の村建てが並列で描かれているけれど、「フナクヤー」が節名になっている。
 歌意は次の通り。
 ♪伊原間村を建てたのは 舟越を建てたのは 
 ※スーリユワイヌ サースリ ユバナヲゥレ 
 ♪どの役人が建てたのか いずれの役人が建てたのか ※以下同じ
 ♪当時の担当役人が建てたものだよ ミチゥンという御仁が建てたものだよ
 ♪当時の担当役人は頭に なって下さるな(なって欲しくない) 
 ♪そこに住みついてみると そこで生活をし続けてみると 
 ♪伊原間村こそ住み心地がよい 舟越こそ快適だ 
 ♪当時の役人は頭役人に なってもらいたい 
 ♪ミチゥンという御仁は目差役人に なっていただきたい 
 黒島で伝承されている「舟越ユンタ」では、村番所の役人の補佐役として強制移住者の選別を取り仕切った村の指導者の名を具体的に挙げ、「この次はお前らこそ強制移住させてやる」などというやり場のない怒りが赤裸々に描かれているそうだ。
 この曲の構成には、違和感がある。つまり、村建てを命じた役人へは「頭になってくれるな」という恨みの歌詞がある一方で、「住みついてみるとよいところ」「当時の役人は頭になってもらいたい」という真逆の歌詞になっているからだ。
 本来の歌詞を役人が改作したのか、それとも住民が役人のいる場所でも歌えるように、役人誉めの歌詞を付け加えたのか、真相はよくわからない。
この歌の囃子「…ユワイヌ…ユバナヲゥレ」についても、不自然さがある。「祝い」の文句と「ユバナヲゥレ」という「世は直れ=よい世になれ」という文句が一つの囃子になっている。短い囃子の中で矛盾する言葉が併存している。この曲自体の矛盾する内容が囃子にも反映したのだろうか。                        
  これは、沖縄本島では同じ旋律で「祝節」として歌われている。
♪お祝い事が続くよサーサー 御代の嬉しいことよサーサー
  ※ユワイヌ サースリ ユバナヲゥレ
♪寄せる年まで 若くなるようだ ※以下同じ
 ♪若松の緑よ 床の前に飾って 
 ♪枝を見れば銀だよ 真は黄金だよ 
♪白髪のお年寄りは 上座席に座り 
♪世間を喜ばせ 親も喜ばせ 
♪先祖を奉ることが 人の手本になる 
 歌詞の内容は、文字通り、お祝いのめでたい文言が並ぶ。元歌とはまったく無関係な替え歌となっている。唯一、囃子だけがそのまま使われている。その囃子に「ユバナウレ」という「祝い」とは相反する言葉があるのに、そのまま「祝節」でも使うのは、奇妙である。
 元歌の「舟越節」は、強制移住による村建ての苦難がテーマである。いくら替え歌とはいえ、正反対の祝いの歌になるとはあまりにも大きなその落差に戸惑う。
 「祝節」を歌う時は、もう元歌のことは忘れて、歌うしかない。元歌のことなど、何も気にしないで歌えば、これがまたおめでたい雰囲気がよく表現された祝いの歌として、まったく違和感なく歌えるから不思議である。
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