レキオ島唄アッチャー

上陸記念碑に見る万次郎の足跡、その2

  万次郎、アメリカ本土に上陸、日本人留学生第1号の誕生

 

1843年、万次郎が救出されてから2年後、船はアメリカ最大の捕鯨基地、マサチューセッツ州ニューベットフォードに帰港しました。万次郎は、日本人として初めてアメリカ本土に上陸しました。

 
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 万次郎の訪れたアメリカは、西部開拓の時代でした。ホイットフィールド船長は、ジョン・マンを我が子のように愛し、ふるさとのフェアヘーブンに連れ帰り、英語、数学、測量、航海術などの教育を受けさせました。ここに、日本人留学生第1号が誕生しました。


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 学校を卒業した万次郎は、捕鯨船フランクリン号に乗って7つの海を航海し、副船長にまでなりました。航海を経てニューベッドフォードに帰港した万次郎は、カリフォルニアで起こったゴールドラッシュのことを知りました。

1850年、万次郎は、日本へ帰国するための資金を得ようとサクラメントの金山に向かい、600ドルを稼ぐと、仲間のいるハワイへと向かいました。

 

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 日本帰国へ第一歩、いざ琉球・小渡浜に上陸

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ハワイに到着した万次郎は、伝蔵、五右衛門らに帰国の決意を伝えました。また、「琉球の地に小舟にて渡れば便利なり」と考え、捕鯨ボートを購入し、アドベンチャラー号と名付けました。そして、上海へ向かう商船サラボイド号へ乗船しました。

 
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18501217日、サラボイド号は上海へ向けてハワイを出港しました。翌年185122日、北風が吹きみぞれが降る悪天候の中、万次郎たちは、糸満市喜屋武岬の沖合でアドベンチャラー号を降ろし、陸地を目指しました。深夜、海岸に着くと干潮だったため浜には行けず、仕方なく岩礁にいかりを下し、朝まで一眠りしました。朝になると、近くにいた釣り人の指示に従い、万次郎、伝蔵、五右衛門の3名は、小渡浜(古港口:フルンナトゥグチ)に上陸することができました。


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2018-02-23 Fri 16:26 | | [ 編集 ]

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