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レキオ島唄アッチャー

「かにくばた」の異名同曲がいくつもある。宮古民謡の「かにくばた」

 宮古民謡の「かにくばた」
 この曲を初めて知ったのは、沖縄に移住してまだ間もない頃だった。宮古島出身の唄者「Hirara(ひらら)」さんが歌っていた宮古の泡盛「菊之露」のコマーシャルが、テレビでよく流れていた。日本人離れしたお顔立ちの彼女が歌うこの曲は、とても沖縄民謡の感じがしなかった。工工四(楽譜)を見て確かに宮古民謡だとわかった次第。
 この曲は次のような意味がある。 
「新しく村建をする為野原地から狩俣大浦に移動を余儀無くさせられた子供達に対し親が開墾地の麦の様に勢いよく栄えよ家近くの豆の莢(さや)のように栄えに栄えよと励まし将来の幸福を祈念する歌である」(平良重信著『解説付 宮古民謡集』)。
                    
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        宮古出身のHiraraさん(「真和志まつりで」)
    解説では、「かにくばた」は「兼久畑」の漢字が当てられ、人名としている。
 歌詞と歌意の内容を紹介する。6番までは国吉源次版宮古民謡工工四から、7,8番は平良重信著『解説付 宮古民謡集』から。砂川国夫氏のブログ「宮古民謡解説集」も参考にさせていただいた。

1、かにくばたよ 抱きみいぶす 乙女小(ブナリヤガマ)
 (かにくばたとは美人の女性のこと 抱いて見たい女性)
 ヤイサースウーリヌ乙女小
 (ハヤシ)サーハラユイサ クラユイサーサ
 ウッショーシショーヌ ニングルマトゥマトゥヨー
 (ハヤシは以下省略)
2、あらすぬ麦だきよ むとういかぎ 乙女小
 (良い土地に実る麦のように すごく良い嫁になるだろう)
  ヤイサースウーリヌ乙女小
3、野原土地ぬ豆だきよ 家近(ヤッカ)ふぬサヤぬ如(ニヤ)ん
 (その土地に実る豆のように 家の近くの土地に実る豆のように)
  ヤイサースウーリヌサヤぬ如ん
4、後ゆかよ 行末(スウラ)ゆか吾等(バンタ)がむてい
 (ゆくゆくは大変幸せになるのは 私達である)
  ヤイサースウーリヌ吾等がむてい
5、女子(ブナリャウワ)うばよかぐうんな乗(ヌウ)し 大浦(ウプラ)んかい
 (女の子が産まれたらかごに乗せて 大浦村あたりまで遊びに連れて行きたい)
  ヤイサースウーリヌ大浦んかい
6、男子(ビキリャウワ)ばよ 建馬(タティンマ)乗し 狩俣(カズマタ)んかい
 (男の子が産まれたら素晴らしい馬に乗せて 狩俣村あたりに連れて行きたい)
  ヤイサースウーリヌ狩俣んかい
7、夜なびすういばが母(ンマ)よ 夜詰(ユヅミ)すうい生しやるうや
 (夜中まで添いうた私の母よ 夜詰めで添うた生みの親よ)
  ヤイサースウーリヌ生まれるなしゃやるが
8、男子(ビキリヤウォ)ぬよ 夜ぱでや酒ど飲む
 (男の子の 夜出歩きしたら 酒を飲む)
  ヤイサースウーリヌ酒ど飲む

 この曲の解釈を巡っては、解説者によって多少理解の違いがある。
 国吉源次版「かにくばた」(兼久畑)の解説は、<「かにくばた」とは女性の名である。絶世の美女であったらしく、彼女と一緒になることができれば、家庭隆盛、幸せになるだろうと願う男心を歌っている。>とのべている。上原直彦氏もほぼこれと同様な解釈をしていた。
 ここには、平良重信氏が述べたような、開拓地に移住させられる子どもたちの様子はまったく見られない。
 宮古民謡の唄者であり、ブログで宮古民謡の解説集を書いている砂川国夫氏は、次のように解釈している。
 <宮古の新しい地への開拓の為に強制的に移動させられた子供達に対してその子たちの親達が別れの寂しさを感じながらも新しい地で頑張って 道を切り開いて言って欲しいと願いを込めて出来たといわれています。 この歌が出来た当時は子供も立派な労働力として扱われていたので 新しい地を開拓するのにふさわしい人材だったのでしょう。>
 ここには、「絶世の美女」だとか、女性との恋模様の要素はまったくない。
 平良氏の解釈に近いのではないか。
 在沖宮古民謡協会発行『宮古民謡工工四』の「かにくばた(其の一)」(「兼久畑(其の二)」もある)の解説も、平良重信本とほぼ同じ内容である。
     
        宮古島のネーネーズの歌う「かにくばた」。アカペラで歌っている

 『琉球列島島うた紀行』を書いた仲宗根幸市氏は、「かにくばた」は、別名「にんぐるま」と呼ばれているとして、次のように解釈している。
 <開墾地の繁栄を祈願する親心と、ユーモラスな男女の交換歌(クイチャー)。別名「にんぐるま」ともいう。軽快な旋律は集団演舞に向き、特に囃子が面白い。沖縄の「にんぐるまーと」と異名同曲。歌の囃子に「ニングルマート」とうたわれることから名付けられているようだ(『琉球列島島うた紀行 <第二集>八重山諸島 宮古諸島』)>。
 私見をのべるほどの見識はないけれど、国吉氏の解説のような美女の憧れる男心を歌っただけの曲とは思えない。確かに最初の歌詞で、「かにくばたよ 抱きみいぶす」と歌い、「抱いてみたい女性」と出てくるので、恋模様の曲かと錯覚しやすい。それに囃子でも「にんぐるま」が印象的に繰り返されるので余計にそんな感じになる。
 だが、そもそも「かにくばた」とは「兼久畑」とも書かれるように、女性の名前らしくない。
「兼久」とは沖縄語では「海岸に近い砂地」(『「沖縄語辞』)という意味がある。兼久の地名はとても多い、「前兼久」(恩納村)「大兼久」(大宜味村)などもある。それに「畑」までついているのでなおさら女性の名前らしくない。寡聞にして女性の名前でこんな名前は聞いたことがない。

 それに、次回に取り上げる八重山民謡の「亀久畑(かみくばた)節」は、宮古民謡の「かにくばた」とは「亀久」か「兼久」の違いはあるが、曲名でみればほぼ同じと見てよい。八重山民謡の「亀久畑」は、与那国島の地名である。
 仮に人名だとしても、歌の歌詞全体を見ると、平良氏や砂川氏らがのべているような、開拓地に移住する子どもたちへの親の願いが込められた曲という解釈に共感を覚える。
 とくに、意味が分かりにくい最後の7,8番の歌詞について砂川氏は次のように解釈している。
7、夜なびすいがばが母よ夜詰みすうい生しゃやるが
 (夜中まで添い寝してくれた私の母よ 移住する前の日まで夜通し
  付き添ってくれた生みの母よ)
  ユイサースゥリーヌ生まれるなしゃやるが
8、男子(びきりゃうぉ)よ 夜ぱずでぃや酒どぅ飲む
 (男の子は 夜外に出れば酒を飲む そうじゃないと強制的に
  移住させられた気持ちが発散出来ない)
  ユイサースゥリーヌ酒どぅ飲む

 「宮古の悲しい歴史が垣間見える曲です。
 でも、曲調はアップテンポでまるで新天地での期待が感じられる様な曲調です」(ブログ「宮古民謡解説集」)。
 この砂川氏の解説に魅かれるものがある。
 砂川氏によれば、「宮古民謡の三線の旋律は琉球古典音楽がベース」だとのこと。
<古くからある宮古民謡は楽器を使わず無伴奏のアカペラで歌い継がれてきました。宮古民謡に三線の演奏が加わったのは1950年代頃と言われ、長い歴史の中ではつい最近の話です。…三線の伴奏を初めて作ったのは、古堅宗雄、友利明令、平良恵清の3人の共作によるものでした。
 古堅宗雄は鍛冶屋を営みながら琉球古典音楽を学んでおり、…伴奏をつけるにあたり、琉球古典を参考に要素を随所に取り入れて作り上げていったそうです(ブログ「砂川国夫宮古民謡解説集」)>。
 砂川さんの指摘のように、宮古民謡が三線で演奏されるようになったのは戦後のことだとすれば、「かにくばた」の特徴あるうたもち(前奏)はもともとあったのではなく、三線で弾くようになってからつけられたのか。沖縄本島の異名同曲と見られる「高離節」は、琉球古典音楽として三線で演奏されて歌われていたのだろうから、「高離節」が影響を与えたのか。
 それとも、宮古の「かにくばた」が三線なしのアカペラで古くから歌われていて、それが本島で三線演奏用に整えられ、その旋律に「高離節」の琉歌をのせて歌うようになり、それが宮古に反作用し、前奏のついた三線曲として「かにくばた」となったのだろうか。
 いずれにしても本島と宮古島の文化的な相互作用のなかで異名同曲が生れたのだろう。

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