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レキオ島唄アッチャー

造船所を「スラ」と呼ぶのはなぜか、その1

 いまから十年余り前、初めて髙良倉吉氏(当時琉球大学教授)の講演を聞いたとき、「スラというところは造船所だった」と聞いたことがある。その時は、なぜ造船所を「スラ」と呼ぶのか、その由来は聞いた覚えがない。

 「スラ」という言葉には聞き覚えがあった。かつて郷里の高知県にいて、林業関係のことを見聞する機会があり、山から木材を切り出し、枕木のように並べた丸木の上を滑らせて運ぶところを「スラ(修羅)」と呼んでいたことを記憶していた。「造船所も陸地で造った船を丸木の上を滑らせて進水させるのでスラと呼んだのではないだろうか」と直感的に思った。ただ、沖縄関係の歴史や民俗関係の著作を読んでも、造船所をスラと呼ぶ納得のいく説明はお目にかからなかった。

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                   「海の駅 あやはし館」に展示してある舟
 
  

たまたま谷川健一著『甦る海上の道・日本と琉球』を読んでいると、明快な説明がされていた。

<八重山にもマーラン船や地船の造船所があった。とくに船材に恵まれている西表島にはいくつか設けられていた。 造船所は「すら所」と呼ばれた>と述べた後。次のように解説していた。

 <「すら」は「シュラ」ともいう。「シュラ」は丸木を枕木のように並べて大石や船がその上を滑るようにしたもので、古墳を作るための岩をはこんだり、伐採した材木を山の下に降ろしたり、また船の進水に古代から使用されている。『綜合日本民俗語彙』は「スラ」の項に、浜に引上げる船の下に敷く棒を九州で「スラ」というとある。また「シュラ」について『北越雪譜』にみる修羅は大きな雪車(ソリ)のことであるとして、ソリ・シュラはもとは一つであったかと思われると注記している。浜辺にすえた新造の船を海岸から波打際まではこぶのに、丸太を使う、それがすら(シュラ)で、転じて造船所の意となったのである>

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