レキオ島唄アッチャー

変容する琉球民謡、八重山から本島へ。「豊穣の世」

 「豊穣の世」には多彩な表現がある
 八重山古典民謡の中には「豊穣の世」「恵みに満ちた理想的な世」を表す言葉として「弥勒世・神ぬ世・昔世・天世・大宅世」などがよく用いられるが、「鶴亀節」にはこれらの用語がすべて出てくる。沖縄本島では、通常は「世果報(ユガフー)」がよく用いられる。でも、八重山は実に多彩な表現があるのに驚く。
 「鶴亀節」では、「弥勒世ば給られ」「昔世ば給られ」「神ぬ世ば給られ」「大宅世ば給られ」「昔世ぬ巡りょうーり」「天世ぬ巡りょうーり」などと歌われている。「弥勒世(ミルクユー)」は、「理想的な豊穣の世」のこと。弥勒神が降りてきて五穀豊穣と平和な世をもたらすことを意味する。ただ、沖縄では「仏教と固有信仰が習合して『弥勒神』と想念されている」(當山氏著書)という。

 「昔世(ムカシゥユー)」は「平和で豊かな理想郷」、「神ぬ世(カンヌユー)」は「恵みに満ちた豊かな世」で「昔世」とは同義の対語となっている。
 「大宅世(ウヤキユー)」の大宅は「金持ち・富んだ家」のことで、大邸宅に住むほど裕福な世のこと。川平村に伝わる「鶴亀節」の原歌では、「大宅世」ではなく「富貴世(ウヤキユ)ば給られ」となっているが「大宅世」と同じ意味らしい。
 「天世(アーマンユー)」は「歓びに満ちた豊かな世」の意味。「歓世・甘世・海人世・余万世」などの表記もあるそうだ。「鶴亀節」の原歌では、「歓ん世(アマンユ)ぬ巡りより」となっているそうで、「喜びに満ちた幸福な世が巡ってきた」という意味である。
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 つまり「弥勒世・神ぬ世・昔世・天世・大宅世」などは、表現が異なるけれど、そこに込められた人々の願いは共通している。つまり、平和で豊かな理想的な世の中が訪れて、人々が平和で豊かに楽しく暮らせることを求めるものである。
 なぜ「恵みに満ちた理想的な世」を表す言葉として、これほど多彩な表現があるのだろうか。これはやはり、人頭税の重圧のなかで呻吟する日々の暮らしのなかで、なによりも課せられた年貢を滞りなく納めること、そのために豊年満作、五穀豊穣が欠かせない。それに、余剰の米や粟が収穫できれば、貧しい中でも暮らしは楽になる。豊かな世の中への願いが強かったことの表れではないだろうか。

 少し、不思議に思うのは、人間の変わらない願望としては、豊年だけでなく、健康と長寿、家庭円満、子孫の繁栄、無病息災などは欠かせない。でも、「鶴亀節」に歌われる「恵みに満ちた理想的な世」には、人間個人の健康と長寿、子孫繁栄などはどうも見当たらない。
 逆に、人頭税下では、人口が増えれば年貢も増えることを恐れて、赤子を埋め殺したなど、悲しい人口調節の伝承がある。往時の庶民にとって、五穀豊穣や豊かな世の中の訪れることが、なににもまして優先する願望だったことの表れだろうか。
 「弥勒世・神ぬ世・昔世・天世・大宅世」などが表現された曲を歌うたびに、この歌に込められた庶民の思いが感じられる。
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