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レキオ島唄アッチャー

歴史が今に生きている沖縄、第一尚氏の末裔

 第一尚氏の末裔
 金丸に倒された第一尚氏の末裔と自称する方に、前にお会いしたことがある。
 沖縄ジョン万次郎会の定期総会で会ったSさんという女性は、沖縄にきて39年になる人だった。栃木県の出身だという。だが、意外にも「私のもともとの姓は尚なんです。それも第二尚氏ではなく、第一尚氏の子孫にあたるそうです」と語る。
 金丸が尚円王になったあと 第一尚氏の子孫が迫害を恐れて逃げたことは予想される。でも、栃木に子孫がいたとは、にわかには信じがたい。ただ、ご本人は、自分が沖縄に移り住んだこと自体に、強い縁を感じていた。琉球を統一した尚巴志は、もともと祖父は伊平屋島から本島の佐敷に移ってきたという。Sさんの娘さんが、伊平屋島に行ったところ、どこからか「よく来てくれた」というような声が聞こえたともいう。第一尚氏の子孫を裏付ける史料はなさそうだ。
 
                           佐敷、尚巴志の碑  
         佐敷上城跡にたつ尚巴志の碑
 ただ、クーデターで倒された第一尚氏最後の尚徳王の子どもは、3人が殺されたが、3男は乳母に抱かれて先祖の地、佐敷に落ちのびたとされる。後に屋比久(ヤビク)の地頭になり、屋比久大屋子と称したとのこと。しかも、その子孫は、王府から首里移住を許され、首里士族としての道を歩んだといわれる。ということは、廃藩置県の後、その子孫のなかから、上京して大学に学んだり、就職して、首都圏やなかには栃木県に住んだ人がいても不思議ではないかもしれない。
 まあこんな具合に、歴史上も重要な人物の子孫を名乗る人に、意外なところで出会うところが、沖縄ならではである。歴史がいまも生きていることを感じるのだ。




 第一尚氏といえば、尚巴志(ショウハシ)が開いた王統の一族が、現在も先祖を供養する「隠れ御清明(カクリウシーミー)」を秋に行っているという。これは「週刊レキオ」が2011年10月11日付けで報じたものである。

 尚巴志ゆかりの南城市佐敷の佐敷上城跡で、尚巴志長男系統の子孫の門中によって密かに行われてきた。門中(ムンチュウ)とは男系の血縁組織である。もう500年以上続いているというからすごい。

 「王統が変わった際『第一尚氏狩り』のような、前王統の血縁を排除せよというおふれが出され、清明祭で集まっている一門が狙われました。そのため、時期をずらしてひっそりと清明祭をし、御先祖様の前で一族の結束を固め、供養してきたといわれています」と門中代表の宮城春子さん(このとき75歳)。

 王統が変わったあと「当時は名前を変えたり、読谷や国頭に逃げたり、血筋を隠さないと命がなかったので必死だったんです。この風潮は明治時代になるまで続いたようです」(宮城さん)。だから文献にも残されていないそうだ。以上「週刊レキオ」から。

 


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