レキオ島唄アッチャー

歴史が今に生きている沖縄、尚円の血筋

 尚円王の血筋にあたる普久原恒勇氏


「芭蕉布」をはじめ戦後の沖縄民謡のヒットメーカーである普久原恒勇(フクハラツネオ)さんは、先祖は伊是名島(イゼナジマ)の出だという。伊是名島といえば、琉球を統一した第一尚氏の王統を倒して、第二尚氏の王統を開いた金丸、のちの尚円王の出身地である。

 普久原恒勇さんは、この尚円王の血筋にあたるという。彼へのインタビューをまとめた『芭蕉布 普久原恒勇が語る沖縄・島の音と光』でそのことを語っている。
 正確には、尚円の直系ではなく、その弟にあたる尚宣威(ショウセンイ)の子孫だという。

「普久原門中(ムンチュウ、男系血縁組織)というのは毎年、伊是名島にお祈りしに渡ります。わたしも行ったことがあります。普久原というのは尚宣威の子孫だと聞かされてはいるんですが、ま、ほんとかどうかわかりませんけれども、みながそう言っているからそうだろうと、思っております」。

 普久原さんには、史曲「尚円」がある。まだ聴いたことがない。この曲は、同じ伊是名島出身の木版画家の名嘉睦稔(ナカボクネン)さんにたいして「伊是名のために何か書きたいね。君は銅像も作ったらしいからそれと一緒に曲を書きましょう」と話した。ちょうど村の方でも普久原さんに何か書いてもらえないか打ち合わせをしていたようで、書くことになったという。当初は、普通の歌を作ろうとしたけれど、「どうせなら器楽曲を書かせてほしいと、初めて自分から進んで書いたものが≪尚円≫です」と話している。
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              玉陵。尚宣威は入れられなかった


  普久原さんの先祖にあたる尚宣威は、不運な国王である。兄の尚円王が亡くなったとき、息子の尚真はまだ11歳と幼かったので、尚円の弟が推されて即位した。しかし、わずか半年で王座を追われた。尚真の母であるオギヤカの策略があったのではないと見られている。尚真は11歳で即位し、幼い息子に代わりオギヤカが権力をほしいままにしたと伝えられる。

 尚宣威は退位後わずか半年で48歳で急死した。尚真王が建てた陵墓、玉陵(タマウドゥン)には、歴代国王が葬られているが、尚宣威は葬られていない。
 それはともかく、よく知られた作曲家が、尚円王の血筋にあたるという話を本人が話しているのを読んで、驚いたのである。

 尚円王といえば、伊是名島出身のシンガーソングライター、伊禮俊一さんも、その子孫だという。子孫だというなにか史料があるのだろうか、そのあたりはよくわからない。

 もともとは百姓だった金丸(尚円王)は、水田の水を盗んだと疑われ、島を出て本島に逃れたと伝えられる。いまでは伊是名島の誇りであり、銅像も建立されている。

 

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