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歴史が今に生きている沖縄、奥間大親

羽衣伝説の奥間大親の子孫

宜野湾市の羽衣伝説で知られる奥間大親の子孫にも著名人がいらっしゃる。

奥間大親は、国頭の奥間村の出身だが、養子に入って奥間家を継いだという。
 「謝名村には百名太主の12男真志喜大神が興し、2代目を真志喜五郎が継いでいた家があったが、その当時国頭辺士名奥間村の辺士名里主の長男、奥間大親は謝名村にやってきていたが真志喜五郎に跡目がいなかったので養子に入って継いだのが奥間家であるという」(伊禮春一著『琉球家紋系図宝鑑』)。

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          天女伝説のある森の川  

   奥間大親は、森の川で水浴びをする天女の羽衣を隠した。この天女と夫婦となり、一男一女が生れた。長男が察度である。天女が天に帰った後、謝名村又吉の元祖の女子をめとり、三男一女が生まれた。次男が泰期である。
 察度は仕事もしないで遊び好きで奥間大親は勘当した。察度は勝連按司の娘をめとり、後に英祖王統5代目、西威王が亡くなったさい「世子幼少にして母后政を乱す」(慶留間知徳著『琉球祖先宝鑑』)ため、察度が推されて中山王となった。
 次男の泰期は察度王の使者となり、明との交易のため、合計5回も往復した。さらに国頭村奥間で鍛冶屋を営んだことで知られる。金満按司とも呼ばれた。
 「奥間家は長男察度が父奥間大親に勘当され家を出て国王に登ったので次男金満按司が継いだという」(伊禮春一著『琉球家紋系図宝鑑』)

  伊禮氏の同書では「元祖・奥間大親」の奥間家は、「当主 佐喜真博」とされている。現在、宜野湾市長の佐喜真淳氏は奥間大親の末裔とされる。

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