レキオ島唄アッチャー

「琉球併合」と明治期沖縄県政、その2

松田道之を琉球に派遣
もう一度、講演の要旨に戻る。

 1873年外務卿副島種臣と伊地知貞馨が日清両属体制と国内制度の現状維持を約束したが、1874年、琉球藩を内務省の管理下に置く。

 
 補注 「琉球問題はもはや対外問題でなく、内治問題と考えたからである。そして内務卿大久保利通の処分案にもとづき、琉球を処分することにした」

 「大久保は翌75年(明治8)正月、使いの上京を命じた。沖縄からは三司官池城親方・与那覇親方らが上京した。使節が内務省に出頭すると、内務大丞松田道之が応接して、()謝恩(注・台湾出兵)のための藩主の上京、()清国との進貢関係の清算、()鎮台分営の設置、()藩政改革、などを申し入れた。これに対し池城らは大いに驚いて、…事が重大で,帰藩の上、藩主の意向をきかねば返答できないものもあると固執したので、政府はこれを容れて一応帰藩せしめた」(宮城栄昌著『沖縄の歴史』

 

 1875(明治7)年、松田道之を琉球に派遣。政府命令として①清国への朝貢及び慶賀使派遣の禁止②冊封使受け入れの禁止③明治元号の使用④日本の刑法定律の使用⑤藩政改革⑥学事修行などに10名程度状況⑦福州の琉球館廃止⑧謝恩使尚泰の上京⑨鎮台分営の設置、を伝達した。

 従来の琉中関係の廃絶と中央集権国家体制への琉球編入に向かう。

 首里王府は1875年、④⑥⑨を「遵奉」するが、その他の清国との関係、琉球の国体に関する項目は認めないという対応をとる。
 首里・那覇の士族層が反発し、騒乱状態になる。首里王府内部で三派が形成される。

 ・遵奉派=日本専属として琉球「王国」の存続を主張

 ・条件付遵奉派=政府に直接請願した上で遵奉することを主張

 ・遵奉反対派=日清両属に基づく「王国」存続を主張

     清国に密航して琉球救国を請願する「脱清人」の活動が起こる。

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                                  首里城正殿 
 
 琉球併合を強行

松田道之は1878(明治11)年11月、「琉球藩処分案」を立案して内務卿伊藤博文に提出する。18791月、松田は首里城にて清国関係の断絶と裁判権の内務省移管など求める。琉球は提出期限の延期を求めた。

 同年2月、伊藤博文上申の「琉球処分案」が明治政府内で承認され、3月松田が琉球出張を命じられる。

 327日、松田が首里城にて「廃藩置県」に関する文書を読み上げた。首里城明け渡し、尚泰は東京居住へ。県庁を当初、首里に置く考えだったが、士族が多いことを考慮して那覇に置くことにする。

 
 補注 廃琉の令達について、もう少し補足しておく。

「松田は警察官160人、歩兵役400人と同行して、325日那覇につき、27日首里城にのりこみ、今帰仁藩主代理に廃藩置県の達書を朗読して手交した。実に疾風迅雷のやり方で、一瞬のうちに幾百年かにわたって尚家に握られていた統治権が取り上げられて、明治政府の手にうつった。

 松田は土地と人民及び一切の書類の引渡しと、尚泰の東京居住を命じ、警官と軍隊を要地に配して、不測の事態にそなえた。」(宮城栄昌著『沖縄の歴史』)

 

 1879(明治12)年、駐日清国行使・何如璋が、琉球は清国の属邦であり、自主の国である、琉球は日清両属体制にあると抗議、廃琉処分の撤回を求める。
 外務卿寺島宗則は、琉球と薩摩との歴史的関係を指摘し反駁した。

 1880(明治13)年の日清交渉では、日本側は奄美・沖縄島を日本領、宮古・八重山諸島を清国領とする二分割案を主張。清国は奄美を日本領、沖縄島の独立と琉球王国の復活、宮古・八重山諸島を清国領とすることを主張した。
 琉球の二分割案で両国が合意したが、正式調印はされなかった。

 清国は、日本商人の活動による経済的混乱を回避するために正式調印を保留した。清国内における琉球複国運動も一定の影響を与えた。


補注 日清交渉は、「日清修好条約を改正して、日本を欧米諸国なみに最恵国待遇にしてもらうことを条件に、清国と分島問題を討議すること」としていた(宮城栄昌著『沖縄の歴史』)。

講演は、初代県令鍋島直彬の県政、第2代県令上杉茂憲の県政、那覇における寄留商人の活動、奈良原県政と土地整理事業・杣山問題、謝花昇の運動について及んだ。興味深い論点もあるが、長くなるので割愛する。

 
 講演の最後に次のようなまとめがされた。

「琉球併合」は、琉球側の請願を無視した、明治政府による一方的な「領土併合」の過程である。「琉球併合」後においても琉球側は清国で救国運動を展開した。明治期沖縄県政では、旧慣温存政策が展開されつつも、政策遂行の円滑化や経済的利権の獲得などが意図された。

  終わり    (文責・沢村昭洋)

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