レキオ島唄アッチャー

お墓と琉球王権について講演を聞く

 県民カレッジ美ら島沖縄学講座」の第2回目として7月6日、安里進氏(沖縄県立芸術大学附属研究所客員研究員)の「お墓と琉球王権のグスク・王陵(王墓)の意外な関係」と題する講座があり、聞きに行った。場所は那覇市旭町の南部合同庁舎。

 安里氏の講座のポイントを記しておきたい。

沖縄にはさまざまな墓がある。建物形の墓や崖に穴を掘った墓、中国伝来の亀甲墓など。沖縄の墓の特徴は①自然の洞窟を利用した墓、人工的に洞窟を掘った墓②建物形の墓③漆喰で白化粧すること。なぜ、洞窟か、なぜ建物形か、なぜ白化粧か、その謎を解くカギは「琉球の王陵」にある。


 沖縄の墓のモデルは王の墓である。

    各王統が新型式の王陵を造営した。

    英祖王統は人工洞穴内に建物・木槨墓、初期浦添ようどれ第一尚氏王統は洞穴の墓口をふさぐ掘込墓、ようどれ改修➡第二尚氏王統は外観建物形の破風墓。墓表を白化粧、首里玉御殿(玉陵、たまうどぅん)、➡第二尚氏、平地式破風墓、白化粧、伊是名玉御殿。

(察度王統の墓は不明。浦添ようどれを使ったのかもしれない)

    王陵は、洞穴墓から建物形へ、漆喰白化粧へと発達した。

    士族や庶民も、王陵をモデルに墓をつくった。

亀甲墓は、1680年代に、中国が明から清へ代わる混乱の際、琉球に逃げて来た人たちが亀甲墓を伝えた。                    浦添ようどれ                                           
          浦添ようどれ

琉球王陵のモデルは首里城正殿である。

    浦添ようどれの墓室には首里城正殿がある。

    首里玉陵は首里城正殿をモデルにした。

    王の棺(厨子)のモデルはグスクや首里城の正殿。

    首里城正殿の形が変わると、厨子や墓の形も変わる。

    正殿に唐破風が登場すると亀甲墓・厨子にも唐破風が登場する。
(唐破風は、唐の名がついていても中国にはない)

              IMG_4021.jpg

           首里玉御殿(玉陵)
王の墓はなぜ漆喰で白化粧したのだろうか。

    琉球の王陵は漆喰白化粧されていた。 

 浦添ようどれは、墓も石垣の囲いも白、墓庭は白い石粉を敷く。墓室表も漆喰で白化粧されていた。
 首里玉陵も白化粧されていた。伊是名玉御殿も白。石垣囲いも墓室も墓庭も墓室内も白くしていた。

    王宮(首里城正殿など)は赤く塗られ、王陵は白化粧した。

    ニライ・カナイには、太陽神(王)が生れる「でたがあな」(太陽の穴)がある。
穴から生まれた太陽神は、西に沈んだ後、地底の穴を通り「太陽の穴」から再生すると考えられた。

    琉球王権がイメージしたニライ・カナイは、太陽神がすむ光り輝く白い世界と考えた。

            いぜな島観光協会玉御殿  
               伊是名玉御殿(いぜな島観光協会HPから)

安里氏の講演は、勝手に要約するとこんな内容だった。東京からの移住者にとって、沖縄のお墓はいろいろな形があり、大和とはとても異なる特徴があり、興味深く見ていたが、王権のグスク・王陵との関係が深いことは初めて知った。白化粧の背景にある古琉球の王権思想についても、とても興味深く聞いた。

浦添ようどれ、首里玉陵、伊是名玉御殿など王陵を調査されてきた安里氏ならではの研究成果だと思う。

安里氏の講演のもとになった論文の一つ、「琉球王国の陵墓制」は、ネットでも「関西大学学術リポジトリ」で読むことができる。参考までに。 

 

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