レキオ島唄アッチャー

宮古島への鉄と鍛冶の伝来、その3。グスク時代

 

 12世紀、グスク時代に入った宮古島

遺跡からの鉄滓、鉄片の出土などの調査結果では、稲村氏のいう13世紀中頃は早すぎるようである。鉄と鍛冶の伝来を考えるためには、考古学的な見地と同時に、鉄製の農具や武器の使用がもたらす社会の変化、発展についての歴史的な分析も欠かせない。

 ここからは、宮古島の歴史について『みやこの歴史』からスケッチ的に見ておきたい。

 宮古島は、八重山と同じように紀元前、有土器文化のあと無土器文化の時代が続いた。

<「南琉球先史時代の宮古」

(宮古島の東海岸の)浦底およびアラフなどの海浜で人々が生活を始めるようになる。土器を知らない人々の登場である。…アラフや浦底にやってきた人々は700800年ばかり居住したのち、1800年前頃(起元後200年)には浦底を離れてしまう。…宮古島を離れたアラフや浦底の人々に何が起きたのか。およそ800年間に及ぶ彼らの活動は途絶えた。宮古島に再び活気がもどったのはグスク時代である。>

 800年くらいの間、歴史の空白の時期を経て、宮古に人々が住み着き、遺跡が形成される。「先史時代の人々とは全く違う集団とも考えられる」(『宮古の自然と文化第3集』、下池和宏著「『宮古人』を考える」)。

                   12~13世紀の遺跡分布 
                
 
                        12~13世紀の遺跡分布(『宮古の自然と文化第3集』から)

宮古・八重山から出土する滑石製石鍋(長崎の西彼杵半島などで製作された)は、すくなくとも12世紀代には大和商人によって運ばれてきたと考えられている。(『みやこの歴史』)>

 

琉球史においてグスク時代とは、どのような時代なのか。

 <漁労を主体とした採取経済から、農耕を主体とした生産経済へ移行した時代を、グスク時代(12世紀~15世紀)という。…農耕社会は定住を前提とし、食料の備蓄を可能とするため、しだいに人々の生活は安定し、豊かな文化をもたらすようになった。…13世紀になると富と権力を手にした有力な按司が、砦としてのグスクを築き、武力を背景にそれぞれの地域を支配するようになった。(新城俊昭著『琉球・沖縄史』)>


 宮古など先島のグスク時代について次のようにのべている。

<先島でも14世紀はじめには農耕社会がいとなまれるようになり、各地に村落が形成された。宮古では、この村落を治めていた首長を天太(テンタ)とよび、村内でもっとも人徳のあるものが選ばれた。

 しかし、14世紀後半になると、武力によって村々を支配しようとする按司が各地にあらわれ、島全体が争乱状態におちいった。いわゆる群雄割拠の時代である。これをおさめ、宮古の統一をなしとげたのが目黒盛豊見親であった。(新城俊昭著『琉球・沖縄史』)。

 

 集落と人口が急増

 
宮古島では、グスク時代には、集落と人口が急増したという。

   『みやこの歴史」から  
    (『みやこの歴史』から)

12世紀から13世紀のグスク時代初期の遺跡は、現在78か所が確認されている。…14世紀になると遺跡の数が急増する。…遺跡は13世紀に比べて、その数が4倍以上も増加している。このことは、人口の増加があったことを示す。増加要因は自然増だけでは考えにくく、この時期には人々が島外から宮古に入り居住していたことが考えられる。宮古がいかに躍動的な時代であったかがうかがえる『みやこの歴史』。>

下池和宏氏も「この時期は13世紀に比べれば、遺跡の数が極端に増えている(図2)。13世紀の遺跡が発展・拡大したというだけでは説明がつかない程である。島外から宮古に渡来し、集落を形成した人々も少なくなかったと見るべきであろう」とのべている(「『宮古人』を考える」)。

宮古で、島外からの渡来を含めて、人口と集落の急増があったことは、農耕の発展をともなったのだろう。それは、14世紀には土地を巡る争いが激しくなることにもあらわれている。

 

遺跡と居住域

グスク時代は、石灰岩の丘陵台地に立地する遺跡と海岸沿いの低地に立地する遺跡が共存している、という。

                    14世紀の遺跡分布 
                           宮古島の14世紀の遺跡分布 『宮古の自然と文化第3集』から

<丘陵台地の遺跡には箕島、友利、上比屋山、ビンフ嶺、オイオキ原などがある。グスク時代初期の遺跡も丘陵台地に立地しており、一般的な居住域だと考えられる。このような環境にある遺跡のほとんどは16世紀をまたずに消滅している。あるいは放棄したことも考えられる。

一方、海岸沿いに立地する遺跡は、近世まで継続する集落跡で元島と呼ばれる。丘陵台地の人々と住み分けをしたことも考えられるが、まだよくわかっていない。『みやこの歴史』>

  

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