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石垣島に配流された仲尾次政隆

 仲尾次政隆の家系

 石垣島に配流された仲尾次政隆は、どのような家系の人物だったのだろうか。
 比嘉朝進著『士族門中家譜』から紹介する。
 <宇氏・仲尾次家――女の立ち口
 1世 思嘉那
 父は久米村の髙良仁也(ニヤー)、母は読谷間切楚辺村の比嘉仁也の娘次良(ジラー)。仁也というのは新参士や役職(地方役人)についた百姓(平民)が、叙位されるまでの無位の期間の称号。
 夫の中村宇兵衛は薩摩久志浦の人で、家は富み船を持ち、琉球から薩摩への貢納米運送を手がけ、思加那(ママ)を旅妻にした。5人の男子をもうけ、中村は3男のみを連れて帰り、薩摩の家督を継がせた。
 中村は多額の金を思嘉那に与えて帰った。思嘉那はその金を元に商売をし富豪になった。息子たちとその子孫も頑張り、富み栄えていった。>
  
  仲尾次家の1世の思嘉那の夫は、薩摩の中村宇兵衛で、琉球から薩摩へ貢納米を運搬していて、思嘉那を現地妻にしたという。仲尾次家は、薩摩人の血をひいていることになる。

 「門中のエピソード」として『士族門中家譜』は、次のように記している。 
 <戦前、泉崎町にある仲尾次家は、高さ2㍍を超す石べいが数十㍍ぐらい連らなる大邸宅で、写真に残っている。
 また、5世政隆が禁制の浄土真宗の信者だったため、石垣島へ配流となったが、家族は新造「仲尾次船」を仕立てて見舞いに行き、ついでに貿易も行ったしたたかさ。しかし、個人資産を増やしただけではなく、王府への献金や学校の建立、築橋など、もうけたお金を社会に還元した。>

 仲尾次政隆が配流された石垣島で、橋を造ったことは聞いたことがあった。配流の身分で、なぜそんな事業ができたのか、不思議に思っていた。でも家譜によれば、とても資産家だったようだ。仲尾次家が、わざわざ船を仕立てて見舞いに行き、援助するとともに、したたかに貿易も行ったという。さすが商売に長けている。
 ただし、資産を増やしただけではなく、社会に還元したという。 

 
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