レキオ島唄アッチャー

普久原朝喜顕彰碑に出会う、その2

 普久原朝喜の戦後の作品といえば、「懐しき故郷」は代表曲である。
1947年の作品。焦土と化した沖縄のことを心配し故郷に思いを寄せた曲である。
故郷が激しい地上戦に見舞われ、親戚や友人・知人がどれだけ犠牲になり、生まれた地域がどのようになったのか、心配でたまらない。といってもどうすることもできない。
 「♪平和になっているだろうか 元のように自由に 沖縄に行く船に載せて下さい 行ってみたいな生れ島」
 「♪いつか自由になったら 親兄弟みんな揃って 大いに笑って暮らそうではないか 行ってみたいな わが生まれた島」
 望郷の念が込められている。
 「戦後の関西沖縄県人会の集まりでは、朝喜は必ずこの歌を歌い、玉砕した沖縄を思い聴衆は啜り泣き拍手すらもなかったという」(小浜司著「島唄を歩く」=「琉球新報」2014年2月21日付)
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「あこがれの唄」も戦後、朝喜が戦場となって荒廃した沖縄、アメリカ支配下で苦しみ沖縄を憂う曲である。
 「♪行ってみたいな大和 住んでみたいな都 哀れな沖縄 変わり果ててしまった」
 「♪大和の世からアメリカ支配の世に変わった なぜわが暮らしは楽にならないのか」
 「♪戦場の後の哀れさよ こんなにも無情なものか 見るもの聞くもの 涙ばかり」
 「♪自由に我らを渡す船を走らせてください 若さあるうちに急いで行かなければ」
 こんな意味の歌詞で歌う。朝喜は戦争中、関西にいたけれど、この曲は、沖縄にいる県民の立場から描かれた曲だ。
 「行ってみたいな大和」といっても、「大和にあこがれた」という単純なことではないだろう。住民をまきこんだ唯一の地上戦で筆舌につくしがたい惨禍をうけ、その上、アメリカ軍の支配という二重の苦難を受けた沖縄への深い慟哭がある。
 「大和は戦後、平和憲法ができて、われわれにとって憧れだった」という人もいる。この曲からは、苦難からなんとか早く解放されたいという、切迫した思いを感じる。
 アメリカの占領が終わり、復興への道を歩む日本と一体のもとに、平和で豊かな暮らしを取り戻したいという心情を、こんな表現に込めたのではないだろうか。
 「通い船」は1959年にレコードを出し、とてもヒットしたという。
沖縄の那覇港から、船で大和へと旅立つ人の嬉しくもあり、寂しくもある心情を歌っている。
 「♪嬉しい、懐かしい別れの港 何時までも心に染めていくよ」
 「♪多くの人々とともに この船に乗る 懐かしい港を出て行く」
 こんな感じの歌詞が続く。1950年、サンフランシスコ条約によって、沖縄はアメリカ統治とされ、祖国日本と分断された。大和と那覇港を結ぶ通い船は、分断された日本と沖縄を結びつけるかけがえのない海路である。たんなる一交通手段というだけに止まらない意味を持ったのだろう。たくさんの県民が、この通い船で大和に渡り、大和からも沖縄に渡ってきた。この曲から、そんな復帰前の事情がうかがえる。
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                    現在の那覇港
               
 それにしても、朝喜の作品は、那覇港がよく登場する。これも、自分自身が那覇港から関西に旅立ち、その後も帰郷するたびに、この港から出入りし、朝喜の胸に港は深く刻み込まれていたのだろう。
 「果報節」は、夫婦が深い愛情で結ばれて生きていくことの大切さを歌う。
 「♪真っ暗な急坂でも 仲良く手を取り合い 心を合わせて登れば嬉しい」
 「♪例えあばら家に住んでいても 豪邸に勝る愛の住家だよ」
 そして「二人はこの世の果報な者」と繰り返す。
 男女掛け合いで歌う。歌っていてもとても共感のできる曲である。
 「世宝(ユタカラ)節」は、結構好きな人が多い曲だ。
 歌意は、「♪真夜中に 夢に起こされて 目が覚めて恋しい 彼女の姿よ」と彼女を恋うる歌だ。4番まで歌詞があるけれど、1番の歌詞は、「すみなし節」と同じ歌詞が使われていて、曲想も旋律も「すみなし節」にとても似ている。「すみなし節」はかなれ古い曲だと思う。「世宝節」の歌詞はどこまで朝喜のオリジナルなのかよくわからない。
 「物知り節」は「浦波節」とも呼ばれる。「物知り」とは博識のある人と言う意味ではなく、「教訓」「教え」という意味である。つまり、沖縄民謡の一つのジャンルとなっている教訓歌である。
 「♪この浮世を安心して渡りたいのなら 誠を尽くすこと以外に道はない」
 「♪誠を尽くす人は あとあといつまでも 思うことがかなって 千代に栄えるよ」
 こんな「教え」が4番まで続く。すべてが朝喜の作詞作曲だという人がいるが、少なくても4番の「やろうとすれば何事もできる できないのはやろうとしないからだ」という歌詞は県民に愛されている歌「てぃんさぐぬ花」でも使われている。オリジナルとは言えない。歌詞は、だれか詠んだ琉歌を使っているのではないだろうか。いまのところ確かめてはいない。なぜ「浦波節」というのかもよくわからない。
 民謡のコンクールではよく最高賞の課題曲となっており、演奏は難しい。でも、とても味わいのある曲である。
 普久原朝喜さんの作曲した曲は、旋律、リズムが独特で、独創的なところがある。時代を映した歌詞の内容といい、それぞれに特色があり味わいのある旋律やリズムといい、朝喜作品は、昭和の沖縄民謡を代表する曲目ばかりである。

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