レキオ島唄アッチャー

戦争・平和の「とぅばらーま」、その3

 農作業の帰りに歌った「野とぅばらーま」 
 とぅばらーまの歌詞を紹介したついでに、大田静男著『とぅばらーまの世界』からもう少し紹介する。

 最初に「とぅばらーまの分類」についてである。
 石垣のとぅばらーま節の歌い方には、①昔とぅばらーま②家(ヤー)とぅばらーま③野(ヌー)とぅばらーま④道とぅばらーま⑤ばっかいとぅばらーま、があるという。
 以下、本書からの要約である。
新八重山民謡創作研究会編「新八重山民謡工工四」の桃原用知氏の解説によると、昔とぅばらーまは「仲道節」の原歌で、国吉長伸翁の説によれば平得村の役人であった湧川里主と仲由実村の浜川マンダル(美女)との恋物語を歌ったものであるとのことである。
 喜舎場永珣著『八重山民謡誌』は「この歌は黒島首里大屋子が宮古に滞在中に島の女と恋愛していたが、いよいよ別れの際に即興詩となって胸中からあふれ出た歌だと伝えられる」と述べている。
 昔とぅばらーまは湧川の主が宮古の女性と別れの時に歌ったというよりも、平得の役人の時の平得の女性との恋歌ではないか。
 家とぅばらーまは「往年家庭内で歌はれていたとのことであるが、現在歌はれていない。また、その歌い方を知る人も少ない」。
野とぅばらーまは「農作業の帰り愛馬に揺られながら或は男女が相前後して星影を踏みながら歌ったものであるが近年農作業も機械化し共同作業も少なくなり往復も殆んど車を利用するので斯かる風景は見られなくなっている」。
 道とぅばらーまは「現在広く歌われている八重山とばらである」。
            
         石垣市「なかどぅ道ぬとぅばらーま」
 ばっかいとぅばらーまは「明治42,3年頃国吉長伸翁が…故慶世村英文翁…から親しく伝授されたのであり更に…宮里英友氏も同様あの頃伝授されたとのことである」。
 喜舎場永珣によれば、新川の宮良長宗(音楽家宮良長包の兄)から石垣喜保(安室流大家)などにも伝授されている。

 大田静男著『とぅばらーまの世界』では、「とぅばらーま」の語源など詳しく検討しているが、長くなるので省略した。ただ「子どもたちへ」として、易しく解説したか所があるので、そこから紹介する。
<「とうばらーま」と言っているが、「とぅばりゃーま」「とぅばるまー」と呼ぶ人もいるんだ。言葉の意味は日本の古い言葉で、訪れるという意味の「とぶらふ」や高貴な人という意味の「とのはら」、殿原って書くんだ。ほかにも説があるが、今のところ、この2説が有力かな。…
 女性から男性に歌いかけるのを「とぅばらーま」と言い、男性から女性に問いかける歌を「かぬしゃまーうた」と言う伝えもあるんだ。
 「かぬしゃー」とは愛しいという意味だよ。…男女が野良からの帰り、夕日を浴びながら、満天の星を眺めながら歌い、月夜の浜辺で歌を掛け合ったんだ。>
 「とぅばらーま」は限りない魅力を持った八重山古典民謡である。
 終わり
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