レキオ島唄アッチャー

按司と鍛冶遺跡、その5

 沖縄の鍛冶は日本から伝来
 稲村賢敷氏は、琉球の古謡集「おもろさうし」や先島に伝わる古謡を見ると、沖縄の鍛冶は日本から伝来したものであることを物語っているとのべている。

 「鍛冶の伝来と鍛冶のオモロ」
 <鍛冶が日本から伝ったものである事は、充分に考えられる事である。これに就いては鍛冶のことを謡ったオモロがあるから、先ずこれに就いて調べることにしたい。

 久志村字久志のオモロ(略)
 <この中に謡われている鍛冶道具の名称に就いて調べて見たいと思うので紹介した訳である。次に鍛冶の道具の名称に就いて、日本語、国頭地方々言(前述のオモロに依る)宮古地方の方言(多良間島に伝わる鍛冶神の民謡)を対照して見ることにしたい。(写真)
 この鍛冶に使用する諸器具の名称が、日本、国頭、宮古を通じて、総て日本語の名称を使用しているという事は、鍛冶が日本から伝わったことを証する重要なる史料であると考えていいように思う。
               鍛冶道具の名称、稲村賢敷著

               

 多良間島に伝わる鍛冶神のニーリ(略)
 <この「ニーリ」には鍛冶の伝来に就いてはっきりと日本から伝来したことが歌われている事は注目すべきである。則ち鍛冶神は始めて日本島に生まれて、多くの鍛冶道具を造り、是に依って日本島を育て且つ教え、更にもっと弘く育てたいために、船を浮かべて、鍛冶道具を荷積みし、沖縄島に御出になり、沖縄の北から南に弘め、更に弘く育てたいために、船を浮かべて宮古島に御出になり、宮古島の北から南に弘め、更に弘く育てたいために、船を浮かべて多良間島に渡られたということを述べている。>
鍛冶神はさらに八重山にも渡り、最後は与那国島に渡ったとされる。これでけはっきりと鍛冶の伝来のルーツと経過を伝えた古謡があることはとても興味深い。

 <宮古で鍛冶を伝来した諸神は、
(1)友利村嶺間御嶽神名あまりほう泊主(倭神であると記されている)
(2)平良市船立御嶽神名金殿、しらくにやすつかさ、(久米島から渡来した)
(3)伊良部村長山御嶽神名倭神金殿神、
(4)伊良部村比屋地御嶽神名あからともがに(久米島から渡来した)
(5)多良間村運城御嶽神名うえぐすく金殿(やまと神、ニーリに謡われている神)
等の五箇所である。
 是等諸神はいずれも、神名を金殿と称し、「日本(やまと)又は北方(久米島)から渡来し」、農具を製作して島民に与えたので島民はその徳を讃え農業神として、御嶽を建てて御祭りしたと伝えられている。島立の神則ち祖先神とは別個であって、宮古島の開基と鍛冶の伝来とは別個で、時代の差違あることを物語っている。>
 以上、稲村賢敷著『沖縄の古代部落マキョの研究』からの紹介である。
 終わり
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