レキオ島唄アッチャー

按司には二通りの意味がある、その4

 古代部落マキョから、中世農村部落への変化――佐敷間切に見る
 稲村賢敷氏は、沖縄への鍛冶と鉄器の伝来は農耕業の発達を促し、社会の富が著しく増大するようになった。そして古代社会が、比較的急速に中世的農耕社会へと発達するようになると、新しい社会の支配者として、按司という勢力が現われたとのべている。
 その具体例の一つとして、尚思紹一党が根拠地とした佐敷間切(現南城市)の歴史的な変化を考察している。

 アツメクダと按司の支配
 <尚思紹一党の人々は伊是名島から移って、この豊穣なる佐敷平野に彼等の根拠地を定めるようになると、先ず最初に南方丘陵上にある古代部落マキョに居住する人びとを麓の平野に移して農耕民として定住させ、平地の開拓に当らしめて富国の方策を講ずることから始めたのではなかろうか。…
 尚思紹一党の人々に就いては、前項手登根の大比屋に就いて述べたように、日琉支(日本・琉球・中国)の間に交通、貿易して物資の交流に携わっていた人々であるから、古代部落マキョの居住者に農耕に必要なる器具を給与して、山麓にある広い平地の開拓に当らしめる。則ち原始社会から中世農耕社会への変化があったのではなかろうか。
 これは唯に与那嶺村のアツメクダ則ち古代部落の統合ばかりではない。佐敷地方に於いても、イズミクダの居住者は是を麓の平地に移して農耕民として生産業に従事せしめると共に、その古代部落の原位置は山上に在って要害の地であり、且つイズミクダという名称に依っても知られるように、水利にも恵まれた所であるために、此処に佐敷城を築いて彼等の根拠地としたものであろう。…
 注1・沖縄一千年史には手登根の大比屋は佐銘川大主の子にして、支那(中国)交通の功労者として歌われし人なり。
 注2・アツメクダとは、数個の古代部落クダを一つに纏めたという意味をもつもの。>
               佐敷グスク跡
佐敷グスク跡
 佐銘川大主は伊平屋島を逃れて佐敷に来て、大城按司の娘と結婚した。その息子が、尚思紹である。手登根の大比屋も佐銘川大主の子となれば、尚思紹とは兄弟となる。
 手登根の大比屋は、尚巴志にとっては叔父にあたる。日本・琉球・中国の間で交貿に携わっていたとすれば、尚巴志がヤマトから鉄器を買い領民に与え たという伝承の背景も、この手登根の大比屋が関わっていたのだろうか。


 <こうした佐敷地方に於ける、古代部落マキョから、中世農村部落への発達は、尚思紹一党の人々がこの地に彼等の根拠地を定めたことと密接な関係があるものと思われる。こうして尚思紹は此の地方で苗代大比屋(なえしろうぷひや)として尊敬された。大比屋は由来記に大ヒヤとも記されていて、古代部落の後期頃、マキョを代表した人物の称号として多く記されている名称である。…
 尚思紹の子尚巴志は始めて佐敷按司と称した人であって、是の頃から東部島尻に於ける尚巴志一党の勢力が強大になったように思われる。
 尚思紹から、その子尚巴志に至る頃(14世紀後半から15世紀の初め迄)、日本では足利義満が金閣を造営して栄華を極めた頃で、茶の湯の流行にともなって青磁類が珍重された。義満は又琉球に対する関心も深く、兵庫には琉球奉行を置いて琉球貿易を管理させた。こうした当時の日琉間に於ける貿易と、琉球の各地の遺跡から出土する多量の青磁磁片とを関係づけて考えるならば、当時日流支間に於いて物資の交流が盛んに行なわれていた事を知ることが出来よう。

 これはまた、沖縄側としては、鉄製器具の輸入であって、農耕のために必要なる鉄製の農機具が汎く普及するようになって、これまでマキョと称する血族部落内で、狩猟、漁猟を主として生活していた人々は、かなり急速に原始社会から農耕社会へと発達を遂げるようになり又一面に於いては武器の輸入又は製作もあって、これ迄各地に割拠していた弱小勢力は次第に強大なる勢力に合併されて、尚巴志の三山統一が割合に早く完成したのである。
 こうした佐敷半島内に於いて起った、古代社会から中世農耕社会への変化は、大小遅速の相違は地方に依っていろいろあったものと思われるが、沖縄本島内の他の地方に於いても起ったものと思われる(『沖縄の古代部落マキョの研究』)。>

  これらを見ると、尚巴志が佐敷で勢力を伸長した背景に、中国や大和との交易、鉄製農具や武器の輸入や製作、農耕社会の急速な発展などがあったことがうかがえる。

追記
 鍛冶の伝来と按司
 これまで紹介したことと重なる部分もあるが、稲村賢敷氏は、沖縄への鍛冶の伝来と按司の出現の関係についてのべている。その部分をついでに紹介しておく。 
 <鍛冶の渡来は農耕業の発達となり社会の富が著しく増大するようになった。こうして沖縄に於ける原始社会が、比較的急速に中世的農耕社会として発達するようになると、この新しい社会の支配者として、按司という勢力が現われて、古代部落のマキョの中にも次第に浸透していったようである。…
 古代部落マキョの生活は、その名称マキョにも示されているように血統を同じくする人々に依って出来た血族部落の生活である。マキョ又はマキウは、真人(マキウ)であって「まひと」とも称し、同一血統の出身者であるという意味である。従って其の組織又は支配する力となったものは血統であって、一族の始祖又はその継承者がこの同族部落の中心となって是を指導し、支配した。是を一般に根神(ネガミ)と称している。そしてこの血統部落は前に調べた通り、多くは山上にある狭隘なる地に設けられ、居住者は狩猟、漁猟が主な生業であったから、後世見られるような物質力を背景とする按司が現われる社会までには至らなかったのである(『沖縄の古代部落マキョの研究』)。>
 終わり
 
スポンサーサイト

沖縄の歴史 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<F&Y、初孫お祝いライブ | ホーム | アルテで「鳩間節」を歌う>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |