レキオ島唄アッチャー

按司と鍛冶遺跡、その2

 按司と関わりを持つ鍛冶
 稲村賢敷氏さらに、八重瀬町具志頭の玻名城グスクと住民との関係について具体的な事例を見ている。以下、稲村賢敷著『沖縄の古代部落マキョの研究』からの紹介である。
 <こうした関係は具志頭村はなぐすく城とその城下の玻名城村との間にも見られる。
 オモロ19巻ノ46(略) 
 オモロ19巻ノ48(略)
 是等のオモロに依って知られるように、当時鉄製農具が少なかった社会では、鍛冶に依って鉄製農具を与えられ、思うように耕作したいという欲求は非常に旺盛であって、鍛冶の勢力下に多数の農民が集まったことは充分に考えられることである。この鍛冶と農耕業の関係は沖縄の産業更に社会発達史上、重要な事項であって又史料も相当あるけれども、それが文献の上に記されている事が少ないために余り重要視されていない。
 沖縄の自然は鉄に恵まれていない。鉄の産出が全然ないという事は、又鍛冶技術が沖縄で起こったものではなく海外から伝来したものであるという事を示すものである。この鍛冶技術の伝来が後れた事が沖縄の産業及び社会の発達を後らしめた根本の原因であると私は考えている。>
 具志頭の玻名城グシクと鍛冶については、後からもう少し詳しくふれている。

 次に、那覇市小禄のカニマン墓について記している。小禄を前に歩いたとき「カニマン御嶽」があり、「金満ミテン」という石碑を見たことがある。
                金満ミテン006
                       小禄にある金満ミテンの碑
 <小禄カニマン墓
 小禄カニマンは鍛冶工であると云い伝えられ、小禄、豊見城地方の農業の発達に貢献した功績は大きく、今でもその子孫であると称する堀川鍛冶を中心として、毎年祭祀が施行されている。更に大里村字西原地方にも数個の岩上墓がある。>

 <小禄ノ嶽神名ミキョチャマベノ御イベ 小禄間切、小禄村(由来記)
 マキョの西方200米程行くと小禄カニマンの丘陵地になるが、此処には古くから鍛冶工が居住していたいという伝説があって、丘陵の中腹に東面して小禄カニマンの墓地がある。
 小禄カニマンの鍛冶跡を調べるために、この附近一帯捜したけれども遂に見つけることは出来なかった。このカニマン丘陵は小禄の墓地々帯になっていて…カニマンの鍛冶跡は早くから掘り壊されたものと思われる。多分この小禄カニマン墓地の南方斜面で、墓地から遠く離れない所に鍛冶跡があったものと思われる。彼は鉄製の農耕器具を製作して附近の住民に分け与えた伝説があり、附近に農民多く集まって農耕部落が起こったものであろう。 

 数百年を経て、この小禄カニマンの子孫は、カニマン丘陵の南方5,600米程離れた田原邑に移り、此所でカニマンの家業を世襲して鍛冶を営み、この地方の農耕業の発達に寄与した。この田原の居住地の東にある小丘上には小禄カニマンに対する小禄遥拝所が現在も残っている。…
 大嶺邑には農業神として土地君(トウテーク)の像が大戦前まで祭られていた。>

                 森口公園
                   拝所がある小禄の森口公園

  <宮古諸島では農業神として総て鍛冶神を祭っている。…
  小禄土地君(トウテーク)祠を建てて、支那(中国)から土地君の像を持ってきて祭るのもいいが、小禄カニマンが早く是の地に来て、鉄製農具を作り出してこの附近の農業の発達を促した功績は大きい。寧ろ事実上の農業神は、この小禄カニマン丘陵上に祭られている鍛冶工であり、又内間グシクの岩上墓に祭られている「チャヌチカニマン」であり、又天久ノ嶽西方崖上の鍛冶工であると言うことも出来るのである。>
 
 稲村氏は、鍛冶は、鉄製農具を作り、農業の発展を促したので、その功績は大きく、鍛冶工は崇拝を受け事実上の農業神であることを強調している。

 小禄のカニマンとは、中山王・察度の弟で、初めて中国・明に朝貢し交易をしたことで知られる泰期のことだとも言われる。泰期は奥間鍛冶屋の始祖であり、金満按司と呼ばれた。
 比嘉朝進氏は、察度が中山の拠点を浦添城から首里城に移したことに伴い、泰期も那覇に移ったと見る。

 「泰期は那覇港に近い小禄森口原の標高45㍍の丘に、小禄城を築いたといわれ、金満(カニマン)城ともよばれた。後(クシ)ヌ嶽は金満御嶽ともいゝ、泰期金満按司を祀る拝所といわれている。小禄城から南東に1㌔半の近距離にある南山系の豊見城城とは小競り合いがあったという」(比嘉朝進著『沖縄戦国時代の謎』)。
 泰期については、このブログの「奥間鍛冶屋の伝承をめぐって」で少し詳しく述べているので、関心のある方は読んでみてほしい。

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