レキオ島唄アッチャー

按司と鍛冶遺跡、その1

 沖縄の鍛冶と鉄器の伝来に関心を持ち、これまで「奥間鍛冶屋」のことなどこのブログでアップしてきた。最近読んだ稲村賢敷著『沖縄の古代部落マキョの研究』では、稲村氏は鍛冶遺跡にとても関心を持っていて、沖縄本島から宮古諸島、八重山諸島の鍛冶の伝承と鍛冶跡について調べていらっしゃる。この著作のなかで、鍛冶の伝承、遺跡について書かれた部分を抜粋して紹介しておきたい。

  内間グシクと鍛冶遺跡
 稲村氏の著書を読んでいて、最初に目が止まったのは「内間グシクと鍛冶遺跡」についての項だった。というのは、那覇市から浦添市に入ってすぐの地域である内間の、すぐ近くの沢岻(タクシ)を歩いたとき、「金満御嶽」「金満按司」の石碑が建てられているのを見たからである。初めて見た時は意味がよくわからなかった。その後、沖縄で鍛冶がいかに重要な役割を果してきたのかを少し学んできた。といっても、実際に鍛冶跡や鍛冶を祀った拝所など見たのはごくわずかである。内間の鍛冶遺跡などまだ見たことはない。

  稲村氏は「附 内間グシクと鍛冶遺跡』の項で、内間だけではなく、那覇市小禄など各地の遺跡にもふれている。
  <字安謝から東方二粁許り行くと、字内間後方の丘陵上に、倭樹の森が見える。この附近では是を内間グシクと称しているが、城壁や城門の跡等の遺跡と思われるものはなく、丘陵の頂上に高さ15尺程の巨岩があって、その上に写真にあるような岩上墓があって、内間グシクという名称も、この岩上墓に対する敬称として称せられている。…
 これを附近では「チャヌチカニマン」と称している。国頭村字奥間のことを通称奥間カニマンと称しているが、この名称は奥間巫女殿内(のろどんち)の名称から起こったものであろうかと思われる。奥間巫女殿内は屋号はアガリ屋であり、姓は座安姓を称しているから、奥間カニマンという名称は、この家に伝わる鍛冶技術によって称するのであろうかと思うのである。
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                     浦添市沢岻の金満按司添の碑

  大里村(現在南城市)字西原の大里城跡の南方城外にも大里カニマンと称する岩上墓がある。これは高さ20尺程、周囲50数尺の巨岩の頂上に1基の石積の墓がある。石積の中はまだ発掘したことはないから不明であるが、この墓もカニマン墓と呼ばれている。私は前にこのカニマン墓の東方菜園の附近から鉄滓を拾得したことがあり、この墓も鍛冶工の墓であるという事を発表したことがある。
 又那覇市小禄にも小禄カニマンと称する墓があり、この子孫は近世まで鍛冶を家業として世襲していたと伝えられている。一般にカニマンという名称は鍛冶に対して称せられたようである。金属器具のことを「カナムン」と称するが、又その製作された所の地名を冠して内間カナムン、奥間カナムン、と称するようになり、更に是を製作した鍛冶工に対しても称するようになったものであろうか。
  この内間グシク岩上墓のことを、この附近では前述したように「チャヌチカニマン」と称している。「チャヌチ」とは「座(ザ)ヌチ」の訛りであって、座の掟(ウッチ)という意味であろうと思う。

  此処から西に3粁程行った天久ノ嶽の海岸にも崎樋川の鍛冶跡がある。是も内間鍛冶跡と同型の小さいものである。浦添城下にある鍛冶跡や勝連城下にある鍛冶跡は、形は皆同じような洞窟であるが、面積はこれに数倍する広大なものである。是等は何れも按司と称する勢力家と密接な関係があって、按司のために武器を作り又農漁業に使用する生産用具を製作した所であるから、その鍛冶跡が広大であるのも当然として考えるべきであろうか。>
 
 <内間グシクの居住者は前述したように「チャヌチカニマン」と称し、この附近の部落の掟役(昔は部落の頭)として尊敬を受けていた人であり、又死後は岩上墓に葬られている事から考えると、カニマンという名称で呼ばれているように鍛冶工であって、農漁具を製作して農民に与え人望のあった人であろうかと思われる。内間グシクと称し、又チャヌチカニマンという称号も、よく彼の勢力を語っているように思われる。
   こうした鍛冶の勢力は、当時鉄製器具の僅少であった社会にあって、農漁民をその居宅附近に集め、彼等に農具を貸与して附近の土地を開拓させて大きな勢力を作ったものである。>

  稲村氏は、これら鍛冶跡について「何れも按司と称する勢力家と密接な関係」があり、「按司のために武器を作り又農漁業に使用する生産用具を製作した所である」と述べている。また鍛冶工が「カニマン(金満)」と呼ばれとても人望があり尊敬されたこと、居宅付近に農漁民を集めて農具を貸し、土地を開拓させるという大きな勢力をもっていたことを指摘している。
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