レキオ島唄アッチャー

南山崩れとシヌグ祭り、その1

 南山崩れとシヌグ祭り

 南城市の津波古の今帰仁から落ち延びた攀安知(ハンアンチ)の子孫のことを紹介したが、うるま市の勝連地域の字誌『勝連村誌』を読んでいたら、こちらには南山崩れで落ち延びてきた伝承がある。同書から紹介する。
 いまは与勝半島と海中道路と橋でつながっている浜比嘉島には、とっても興味深い祭りがあるという。

 浜地区のシヌグ堂
 <毎年旧6月28日(8月28日の2回)は、浜比嘉両部落の神職、当役、有志が集り、先ず島に他地方の人が上がっていないかを確めた後、シヌグ堂に参集して、他地方からの渡来者防止の為の時化を祈願する。すると当日は必ず海が荒れるのでこれを「シヌグ荒れ」と称えている。今日でも「シヌグ荒れ」は、必ずあると島の人は語っている。シヌグ堂での行事が終ると、比嘉の関係者は別れて比嘉の諸拝所を巡拝する。拝所の一つの浜崎という所では、ヤブチ島の方向目掛けて弓を射る所作をすることになっている。
 当日は朝から休業して、男子は海岸を警戒し、女子は昼食の外思い思いの御馳走をつくって浜に行き、警戒に当たっている男子と之を共にし、日中は浜で楽しく過ごして、夕方引き上げるのである。
 終戦前までは、当日は上陸した人があっても浜に宿泊させて、部落内即ち民家に入れることは絶対になかった。今日では平日と何等変わることはないようになっている。

 即ち浜比嘉のシヌグ祭りは、当日他地方人の島への渡来を絶無ならしめる為の時化祈願の行事になっている。
 凡そ海に生きる島で、其生業の妨げになる時化を祈願するとは一寸奇異に感ぜられることであるが、島の古老は其由来を次のように語っている。
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                        浜比嘉島の海岸
 昔南山崩れの時の落武者、平良忠臣という士の一味7、8人が、丸木舟で与那原から海岸伝いに屋慶名まで辿りついたが、屋慶名では落武者の安全は期せられないとして、更に浜に渡って今のシヌグ堂に身を隠し、住民に頼んで島の周囲を警戒させて、難を凌いだという故事から始まった。つまり「シヌグ」は「凌ぐ」から来たものだというのである。
 凡そ「シヌグ」は「神遊(シノグ)」があてられて、他の地方では年の豊穣を祈願し感謝する祭りとされているが、浜比嘉のシヌグは其由来にふさわしい行事が行われていて、他地方のそれとは趣の異なるものがあるようだ。>

 「沖縄大百科」によれば、「シヌグ」は、通常次のような祭である。
<旧暦6月の吉日、来訪神信仰の儀礼としては沖縄本島地区の代表的な行事であり、ウンジャミ(海神)祭とならぶ重要な祭祀である。シヌグは兄弟ないし男の祭という意味があり、
男達が中心となる祭である。山の神に農作物の豊作、集落、家族の繁栄をまず祈り、次の海に向かって同様の祈りをささげる。男達は草木を身にまとい、神に扮して村を浄めるために山を下りてくる。>
 同じ「シヌグ」という名前であっても、浜比嘉島はまったく異なる由来と伝統をもつ祭であることがわかる
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