レキオ島唄アッチャー

アメリカ追随、政府追随が極まれり

 どこまで沖縄県民を愚弄し、痛みつけるのか。そんな憤りが湧き上がる日々である。
 19日には、米軍が墜落したオスプレイの飛行訓練を、墜落からまだ1週間たたないのに再開した。県民の不安を一顧だにしない米軍の無謀な振る舞いに呆れかえる。
 「安全が確認されるまで飛行停止」と言っていた政府も、やすやすと飛行再開を認めるとは、アメリカ追随も極まれりである。
 
 20日には、翁長知事が辺野古埋め立て承認を取り消したことへの国の違法確認訴訟で、最高裁は公判も開かずに上告を棄却した。仲井真前知事の承認は「埋め立ての必要性・合理性や環境保全策などへの配慮の判断に違法はない」とする。国の主張を丸呑みした高裁判決を踏襲しただけである。
 辺野古は移設どころか、普天間基地閉鎖を口実にした巨大基地建設であり、必要性も合理性もない。住民の命と安全を危険にさらし、暮らしと環境も破壊される。オスプレイ墜落は、辺野古や高江の基地建設の不安と危険性を現実化したものである。
 最高裁判決は、民主主義と地方自治、県民の総意も顧みない国追従の不当判決である。三権分立もどこへやら、嘆かわしい司法の現実を見る思いだ。

 翁長知事は、判決には従うけれど、それ以外は縛られないとして、「これからが県民の踏ん張りどころ」「不退転の決意で公約の実現に向けて頑張っていきたい」と力強く述べていた。
 日米両政府には、これまで何度も苦渋を味わされてきた県民は、そのたびにたくましく抵抗を続けてきた。オスプレイの撤去、海兵隊の撤去、辺野古新基地断念へ、県民ぐるみの声と運動が新たな展開を見せるだろう。
 
  
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