レキオ島唄アッチャー

活発に海外交易を行なった具志頭のグスク、その3.鍛冶に由来する城名

 多々名城の名は鍛冶に由来か
 多々名城の名称の由来について『具志頭村史』と稲村賢敷氏は、次のような見解をのべている。
<花城(はなぐすく)は多々名城(ただなぐすく)とも呼ばれ、現在では専ら多々名城と呼ばれている。そのいわれは何か。
「たたな」とは、「たたら」ということばが転訛したことばで、たたなが濁音化したのが「ただな」である。
 たたらとは、鍛冶屋で風を送る道具として使われている「ふいご」のことである。たたらはいつしか鍛冶をあらわすことばとなり、すぐれたたたらの居る城として、花城は「たたら城」とも呼ばれるようになり、そしてやがて、たたらはたたなに転訛してたたなとなる。それが濁音化してただなとなり、多々名城(ただなぐすく)と呼ばれるようになった(『具志頭村史』)。>


             
                 古からの製鉄「たたら吹き」の動画(島根県)
 稲村賢敷氏は、その著「沖縄の古代部落マキョの研究」の中で次のように述べている。
 <玻名城部落の移住と鍛冶の伝来
 現在玻名城部落は、玻名城々跡の北方二粁程の処にある丘陵上にあって、部落名「ハナグスク」に就いて考えると、沖縄の言葉で「ハナ」は断崖という意味の言葉であって、この玻名城という村名は、彼等の祖先が(嘗か)って玻名城城内の断崖上に居住していた事を語るものであって、断崖上の住居又は城という意味で称せられたものである。彼らの祖先は、玻名城の城を造る時に、この断崖上にある要害の地を城主に譲って、其の東方低地に移った。この低地は水利の便のいい土地であって、城主はその領民に鍛冶(かじ)に依って製作された鉄製の農具を与えて、水利の便宜の地に移り住まわしめたので、領民は非常に喜んでこの肥沃の地に移り住んだ。此処がハナグスク古島であって、その南には玻名城の城址が高く聳えて、真に其の名称にふさわしい険しい断崖上にある城跡である。

 玻名城の城には鍛冶が早くから伝わっていた事は、この城の別名となっている「タダナ城(グスク)」即ちタダナはタタラであって鍛冶の鞴(ふいご)のことであり、鍛冶のある城という別名のある事に依って知ることが出来る。
…又鍛冶が居た証拠としては、城の城下町に当たるハナ城部落の住民は、城内と交易をして、早くから農耕が発達し「とよむ玻名城」として知られていた事が、オモロ歌謡にも数首謡われている。城下の鍛冶がその附近の移住者に対して大きな恩恵を与えたことは、ハナ城城(一名タダナ城)に於いて最も明らかである。>
鍛冶が早くから具志頭に伝わり、城内で武器や農具が作られて、それが農民に与えられ、農業の発展に寄与するなど住民に大きな恩恵を与えたことが、この多々名城という城の名称にも表れている。
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