レキオ島唄アッチャー

活発に海外交易した具志頭のグスク、その1。「おもろ」に見る具志頭

 勢力を誇った花城按司

 沖縄民謡で働くことの尊さを歌った名曲「汗水節」の歌碑を見に、八重瀬町具志頭(グシチャン)に行ったことがある。その際、歌碑のある高台に登る石段のそばに、「多々名城(タタナグスク)城跡」の説明看板が立っていた。具志頭にある城跡にはまったく知識がなかった。読んでみると、さほど大きな城跡とは思えないのに、かつて活発に海外交易をして繁栄していたと記されていた。「へー。これくらいの規模の城を居城とする按司でも、海外交易をしていたのか」とちょっと意外に思った記憶がある。

 この城跡について教育委員会の説明看板には次にように記述されている。
 <この急な坂道を登りつめた山の頂が多々名城(たたなぐすく)である。多々名城は13世紀の末頃が、あるいは、14世紀の初期ごろに、花城按司が築城したと言われ、築城した時は花城(はなぐすく)と言われたが、後に多々名城(たたなぐすく)と呼ばれるようになった。この地に、花城が築城される以前は、この地には現在の玻名城の部落が存在していた。城の規模は、およそ33,000㎡もあり、本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、御内原跡というように、各城郭で囲まれている連郭式の平山城形式の城である。
多々名城については、おもろそうしに、13種ほどのおもろがあり、そのおもろなどからして、代々の花城按司や多々名按司は、勢力を誇り繁栄していたであろうことがうかがえる。
 花城按司、多々名按司は、盛んに海外貿易を行ない、素鉄を輸入しそれによって武器をつくり武力を高め、農具をつくってそれを領地の農民に配り農業を盛んにならしめた。その貿易港は、具志頭村糸満市の境界に位置する「ワタヤー」であった。>

                     汗水節歌碑

 折しも『具志頭村史』第2巻を読んでいたら、具志頭のグスク時代の歴史といくつかあったグスクについて書かれていた。とても興味深かった。それで同『村史』のなかから、興味のあるカ所を抜き出して紹介する。

 「おもろさうし」に見る具志頭
<よりたち村は、具志頭村で最初に建設された村であり、それは村々の親国である。…
祖先を一にする血縁団体で構成されていた。そして、部落の創建者の家を根所と言い、根所の娘を根神と言った。部落の政治はこの根神が、神の宣託(神のお告げ)を宣(の)る形で行われたと思われる。いわゆる祭政一致である。したがって、根神は、部落の政治の最高の地位にあった。そして、部落の祭祀はすべてこの根神が司ったのである。…
 よりたち村は、だんだん人口が増加すると、白水川原の底地や、台地上の畑で生産される食糧でもって、村の人口を養うことができなくなり、どうしても他に土地を求めて、分村しなければならなかった。そして、よりたち村の人々は、一部の人を残して、各所に分散移動し、新しい部落を建設したのである。その部落が具志上・花城・中座の3部落である。…
 時代とともに、部落の人口もだんだん増え、農耕地も増加し、部落と部落の間に、土地や水等による争いが起こった。部落と部落の争いに勝ち、自分達の生活を守るために、部落の根所の長は、武力をたくわえて、他の部落と争わなければならなかった。そして、山上の攻め難い所に城を築き、地方君主となる。これを「按司(あんじ)」又は「ちゃら」と言う。
 ところで、やがて具志頭按司が具志頭城を築き、玻名城世之主が花城を築き、上原按司が上城を築いた。具志頭城・花城・上城が築かれたのは、三城址の出土遺物やその他の資料からして、ほぼ同時期で、すなわち、14世紀の初期頃である。
具志頭城主、花城々主・上城々主の三者は、覇を競ってたがいに争ったが、やがて花城々主によって統一された。そして、花城々主の花城按司はますます強大な勢力を有するようになり、城下村の花城村をはじめ、統治下の村々では農耕が発達し富み栄えた。>

この具志頭地域でも、人口が増え、農耕地や水をめぐる争いがおき、部落の長は武力をたくわえ、山上に城を構えるようになり、地方領主の按司となり、14世紀初期の頃、具志頭城・花城・上城が築かれていたという。やがて花城城主が統一し、農耕が発達し栄えたという。富み栄えた様子が、琉球の古謡集「おもろさうし」に次のように謡われている。

<巻19の50のおもろ
はなぐすく、おわる 
みかなしの、てだの
にがよう、あま、よ、なす、てだ
又、くにのねに、おわる
又、人の、うらの、にぎや、よ
わかうらの、あま、よ
にぎや、よ、あま、よ、なす、てだ
(訳文)
花城にいらっしゃる 敬愛する按司は この世を凶作にも、豊年にもすることのできる按司である 国の主としていらっしゃる よその部落の凶作も
 わが部落の豊年もその威光によって為することができる
 この世を凶作にも、豊年にもすることができる按司である

巻19の38のおもろ
きこゑはなぐすく 
いちや、ちや、もちろかちへ
きみが、けおの、うちる
かに、ある
又、とよむ、はなぐすく
(訳文)
名高い花城 板門をきらびやかにして 聞得大君の守護する首里城も
このようであろう 有名な花城
 (巻19の48のおもろは略)
これらのおもろは、按司時代を社会基盤にするおもろである。この時代の社会は、すでに支配者、被支配者という階級分化が行われ、社会秩序を支えているのは武力である。
武力の象徴である花城按司は、すぐれた鍛冶屋を城内に置き、盛んに海外貿易を行い、鉄材を輸入して、それでもって武器を作らせて武力をたくわえ、ますます強大な按司となり、その威光は四辺にわたり、世を変えるほどの支配者となった。…
…代々の花城按司は盛んに海外貿易を行い、鉄材を輸入し、それでもって城内に置いているすぐれた鍛冶職に農具を作らせ、それを統治下の村々の農民に与え、農業を発達させ、生村であった。>

「おもろさうし」に13種もの歌謡があるということは、「代々の花城按司は、勢力を誇り繁栄していたであろうことがうかがえる」(説明看板)。
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