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尚氏ゆかりの清明祭

 琉球を統一した第一尚氏と、その後の第二尚氏の王朝はいずれも、沖縄北部の伊平屋島、伊是名島を出自とする王統である。両島では、両王統にまつわる清明祭が行われた。
 3つの小国に分かれていた琉球を統一した尚巴志の曽祖父「屋蔵大主」を葬ったという伝説のある「屋蔵墓」が伊平屋島にある。島の墓の前で4月5日、清明祭が行われた。我喜屋区と島尻区の両区長らが、持ち寄ったごちそうを供え、焼香し手を合わせた。
 「屋蔵墓」の清明祭は、昔は両地区合同で盛大に行われていたという。現在は区長らが代表して行っている。
 なお、伝説によれば、尚巴志の先祖は、もともと南城市の大里にいたけれど勢力争いで難にあい、伊平屋島に逃れた。屋蔵海岸から上陸し、屋蔵大主(ヤグラウフスー)となっていた。島の人々が飢餓にあうと助けたりしたが、島の住民が不安に思い、屋蔵大主を殺そうという話を聞き、驚いて島を脱出して本島の国頭に逃れた。屋蔵大主の長男が鮫川大主で、その長男が尚思紹、その子が尚巴志であるという(當間荘平著『月代の神々』)。
  
 伊是名島は、第一尚氏の王統を倒して第二尚氏の王統を開いた金丸・尚円王の出身地である。尚円王は、首里城そばの陵墓「玉陵(タマウドゥン)」に祀られているが、伊是名島には、尚円王の親族らが葬られている陵墓「伊是名玉御殿(タマウドゥン)」がある。こちらはとても立派な陵墓である。墓の前で、毎年、尚円王の親族らを供養する公事清明祭(クージシーミー)が執り行われる。
 1870年に始まった公事清明祭は、毎年清明祭に入る前日までに実施され、公事清明祭が終わらないと伊是名島では一般の清明祭が行えないとされているそうだ。
 2014年は4月3日に行われた。
 以上は「琉球新報」などから紹介した。

 玉御陵は、島の南東に位置する伊是名城跡北側の麓にあり、尚円王の家族(左室)、親族(右室)を葬る王国時代の聖墓の一つ。三代目となる尚真王(尚円王の子)が現在の石造製の墓に重修したとされている。
                     伊是名島玉陵
        文章と写真はいぜな島観光協会のホームページより。
                
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