レキオ島唄アッチャー

乗り馴れたバイクを廃車に

 沖縄に来て乗っていた台湾ヤマハ製のマジェスティ125F1を廃車にした。11年間乗ったが、故障続きで、修理費が高くてもう使いきれないのであきらめた。
 沖縄にi移住する前、友人から「大型スクーターがいいよ」と勧められた。東京時代もバイクに乗っていたので、移住してすぐバイクショップに行った。中古バイクでもいいかと思ったが、店主から「これは台湾ヤマハがつくり、欧州向けに輸出しているバイクで125㏄だから価格も手ごろですよ」と勧められ買った。
 125の割には車体が大きいので2人乗りにも向いていた。だが、乗り始めて半年ほどで嫌なトラブルに出会った。走っている最中に、交差点に近付きスピードを緩めると、いきなりエンジンが止まるのだ。後続車が来ているのに、動かない。あわててエンジンを再始動させてなんとか追突を免れた。2度3度と続いたので、店で調べてもらったが、原因は分からない。「もしかして」ということで、どこだったか忘れたが、部品の交換をした。保証期限内なので無償。だが、それでもまたエンストになることがあったので、原因は分からずじまい。でもそのうちにエンストはなくなった。
 廃車することになり、ネットで検索しているとやはり「エンストしやすい」という人がいた。私だけではなかったようだ。
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 3,4年程乗ったとき、バイクを止めるセンタースタンドがなんとポッキリと折れてしまった。取り替えると、たしか2万円近くかかるというので、取り外して、サイドスタンドだけでバイクを止めていた。間もなく、サイドも折れてしまった。こちらは取り替えるしかない。沖縄は、潮風が吹くので、金属類は錆びやすい。バイクも過酷な環境に置かれていることは確か。でもそれにしても折れるのが早すぎる。脆すぎる。材質が悪いのか、買った時点でもう錆びるか、脆弱になっていたのではないかと疑惑をもつ。
 
 このバイクは、エンジンをかけるのに、ブレーキをしめていないとエンジンがかからない仕組みになっていた。これが後々、厄介なことになる。何年か乗っていて、出がけにエンジンの調子が悪い、かからない、セルモーターが回らないなどトラブルが何回かあった。ところがサイドにある手動でエンジンをかける足踏みがさび付いて踏めない。そんなとき、かつてのバイクは突き押ししてエンジンをかけられたが、このマジェスティはブレーキをしめたままでなければエンジンがかからない。だから突きがけは絶対にできないことになっている。これで何回も泣かされた。
 次は6,7年目でオイル残量表示が狂った。ガソリンがあるのに、残量がないと表示される。おかしいなと思ってガソリンを入れると、すぐ満タンになる。それで表示が狂っていることに気付いた。これを直そうとすると4万円くらいかかると聞いて、ビックリ。幸いガソリンがあっても残量が少なく出ることを自覚していれば不自由はないので狂ったまま乗り続けた。
 次はマフラーをカバーする部分が、錆びて腐って剥がれ落ちた。いくら潮風にあたるといっても、こんなに簡単に錆び腐るとは、脆すぎるのではないか。
 この2,3年は、セルモーターの接触不良で、エンジンのかかりが悪く、何回かやってやっとかかることがあった。店でみてもらって、修理してもらい改善されたと思っても、1年たたずしてまたかかりが悪くなる。
 書きだすと果てしがないけれど、この2,3年は半年も満足に乗れずに、修理してもらうという具合だった。我慢しながら乗っていたが、不具合のあるか所をすべて部品交換や修理をすると、もう10万円以上はかかる状態になっていた。
 車にも乗っているが、バイクは小回りがきき、駐車場がないところにも行くのに便利だし、ガソリン代も車に比べて安くすむので手放さずに乗っていた。沖縄ではそういう人は結構多い。
 そんななか、タイヤも前輪は交換し、後輪もそろそろ交換が必要と言われていた。先日、スーパーに買い物に行った際、少しの段差を乗り越えた時、変な音がして嫌な予感がした。買い物して帰ろうとバイクに乗ると、なんとタイヤがパンクして、グラグラしている。なんとかバイク店まで持っていったが、「もう交換しないといけない」と言う。でもここでタイヤを交換してもまた次々トラブルが起きると、バイクを持っているメリットもない。
 バイク店によれば、11年にしてもう買い取はできない、6400円で廃車処理できるという。それでやむなく手放す決断をした。
 それにしても故障が多く、廃車にするのは早すぎないだろうか。そう店の人にぼやいてみると「いまバイクも家電と同じようなものですから」「これは台湾製ですからね」と言う。
 日本のヤマハの台湾の子会社といっても、ヤマハとは別会社であり、品質も台湾の基準で作られているらしい。
 バイクには18歳のときから仕事で乗っていた。ヤマハだった。なぜか昔のバイクが懐かしい。



 
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